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宮地嶽古墳 (宮地嶽大塚古墳)

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福岡県福津市宮司元町7-1 (宮地嶽神社)
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◆◆◆◆◆ 宮地嶽古墳(宮地嶽大塚古墳) ◆◆◆◆◆

 宮地嶽神社の奥の宮不動神社の本殿となっている宮地嶽古墳は直径34メートルの円墳で、内部の横穴式石室は全長23メートルm、最人幅2.8m、天丼までの高さは最大3.1mを測る巨大なものです。 欽明(きんめい)天皇とその后(きさき)の堅塩媛(きたしひめ)の古墳と推定される(違う説もある)奈良県橿原市(かしはらし)の見瀬丸山古墳の石室の長さ28.4mに次ぐ全国2位の規模を持つ横穴式石室古墳です。

石室に使われている石も巨大な切石で、一つの石が高さ幅とも約5m奥行き数mに及ぶ巨石8個が左右に並んでいます。しかも、この巨石は直線距離で5キロも離れた「恋の浦海岸」や 直線で約10キロ離れた相ノ島から船で運ばれたと推測されているのです。
船で運ぶといっても、海岸に下ろして、距離にして500m程度は坂道を運び上げる事になります。こんな重い石を重機もない時代に運び上げて石室に組み立てることが可能だったのでしょうかね? 驚きです。

 この古墳は7世紀の後半(前半と言う説もある)にできた古墳で、天武天皇の第一皇子(高市皇子)を産んだ尼子娘(あまこのいらつめ)の父である胸形君徳善(むなかたのきみとくぜん)の墓であるという説が有力です。

 余談ですが、今の「宗像」は「宗形」「胸形」「胸方」「胸肩」といろいろ表記していました。ここでは胸形君徳善(むなかたのきみとくぜん)の字は「胸形」で統一します。
 胸形君徳善(むなかたのきみとくぜん)には三人の子があり、嫡子・鳥麿、女子・尼子娘((あまこのいらつめ)、二男・加麻麻岐でした。 その女子・尼子娘((あまこのいらつめ)を天武天皇の采女(うねめ)として上らせ、西暦654年に第一皇子・高市皇子(たけちのおうじ)を生んだのです。

 高市皇子(たけちのおうじ)は母親の身分が低いという理由で天皇になれなかったが、ひょっとしたら天皇の祖父になったかもしれないのが胸形君徳善(むなかたのきみとくぜん)なのです。
徳善はこの地方で絶大な権力をもっており、九州北部、沖ノ島、朝鮮や中国大陸までの海道を牛耳っていた海人族だったようです。 時あたかも、日本を取り巻く国際情勢は風雲急を告げていました。だから、大和朝廷も胸形君徳善(むなかたのきみとくぜん)を無視できなかったのです。 そして西暦662年には白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)が起こり、倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争が起きました。当然、胸形君徳善(むなかたのきみとくぜん)一族も重要な活躍をしたはずです。
現在の宗像大社は、もともとは、胸形君(むなかたのきも)一族の守り神だったのです。

 宮地嶽古墳や古墳前の社務所を建設する時多くの副葬品が出土しており「地下の正倉院」といわれている超一級品です。 金銅製の馬具類や大刀、冠、銅碗、ガラス板等豪華なもので、多くが国宝に指定されています。
それらの出土品は朝鮮半島、中国、さらには西アジアまでも通じていたことを示す品々でした。

  また、宮地嶽古墳の正面の山すそから出土した瑠璃壷(ガラスの壷)と銅壷は八世紀の火葬した骨を入れる骨壷と考えられています。
火葬は文武四年(700)の僧道昭に始まり、三年後の大宝三年(703)の持統太上天皇がそれに続きます。ようするに火葬は8世紀の初め頃から行われるようになった風習です。
そして、銅壷とガラス製蔵骨器の組み合わせ例は、慶雲四年(707)に没した文祢麻呂(ふみのねまろ)の場合にみられます。

 さて、宮地嶽古墳の近くで発見された緑色ガラス製蔵骨器と火葬された骨は誰のものだろうか? 都の風習がいち早く行われていることからヤマト王権中枢部とも関係の深かった人物だろうという事になり、 年代からいって胸形君徳善(むなかたのきみとくぜん)の娘である尼子娘(あまこのいらつめ)が尤も(もっとも)ふさわしいと思われています。

尼子娘(あまこのいらつめ)が都で亡くなり、都で普及していた最先端の火葬という方法で遺体を処理して骨壺にいれ故郷に送り、父親の胸形君徳善(むなかたのきみとくぜん)が埋葬されている古墳のそばに丁寧に骨壺を埋葬した。 これが、推測されている一つの説です。

 宮地嶽古墳から直線で約2Km離れた所にも巨石を使った横穴石室古墳である「手光波切不動古墳」があります。胸形君徳善の傘下にあった豪族たちが埋葬されたのであろうと推測されており 築造年代も宮地嶽古墳より少し新しいだろうと思われています。ちなみに宮地嶽古墳からは百済系の遺物、手光波切不動古墳からは新羅系の遺物が出土しています。これは何を意味するのでしょうか?

いずれにしても、ここ宗像近辺では5世紀初めから多くの古墳が造られてきましたが、その最後に造られたのが宮地嶽古墳と手光波切不動古墳です。 この両古墳以後は首長墓クラスの墳墓(古墳)の築造は見られなくなります。

最後に現地の案内板を掲載しておきます。

● 現地の案内板
  宮地嶽横穴式石室古墳と不動神社
 当社のこの古墳は学問上「横穴式石室古墳」と申し、寛保元年(一七四一)宮地嶽の山崩れにより初めてその口を あけ、村人達や修験道者達はこの古墳の全容のあまりの見事さに畏敬驚愕し、延享四年(一七四七)この石室内に霊 験あらたかなる不動尊をお祀リするようになりました。
 この山麓一帯には凡そ五、六、七世紀頃栄えた大古墳群があり堂々たるその威容が遠望されますが、とりわけ地下 の正倉院といわれるこの古墳は奈良県南飛鳥の石舞台に匹敵する程長大で、一つの石が高さ幅とも約五m奥行き数m に及ぶ巨石八つで左右を囲み、その全長約二十三mという九州で最大の石室であります。
この巨石古墳からは三百数十点の宝物が出土し、うち十数点は重要国宝に指定されております。 中でも金銅装透彫冠は精巧な冠残欠純金の歩揺がついた跡が残っている我国第一級の国宝であリ、金銅装頭椎大刀は全長二mにも及ぶ全国最大級の太刀で類まれな るこれ等の優れた品々は飛鳥時代美術工芸興隆の先駆として注目されており当時この一帯を治めた埋葬者の絶大な威 勢を示じて余りあります。
 この宮地嶽の地に大和の大貴族にも肩を並べる程の富と権威とを象徴する全国最大級の大石室古墳が築かれ、又御 陵関係の重宝にも劣らぬ天下の宝物が発見されました事から、大和朝廷勢力と深い係りをもった地方豪族の繁栄と伝 承が偲ばれ、それが起源となって神霊あらたかなる神々の鎮座まします霊地として、多くの人々が御参りされる事も、 まことに故あることと申すべきであります。
 奧の宮不動神社の祭典
 一月二十八日  初不動祭(孝養ロウソク神事)
 二月二十八日  春季大祭(ぜんざい祭)
 七月二十八日  夏季大祭
 これ等の祭典日には御開門をし、参拝者は石室内にての参拝が許されます。
 毎月二十八日は不動尊命日祭

※ 掲載した内容は 2014年11月04日時点の内容です。変更になるおそれがあります。自己責任で御利用ください。

動画案内(約3分)

 
 


 ◆ 宮地嶽神社の奥の宮不動神社(奥の院)
宮地嶽神社の奥の宮不動神社(奥の院)

 ◆ 奥の宮不動神社の本殿は横穴石室古墳
奥の宮不動神社の本殿は横穴石室古墳

 この宮地嶽古墳の築造年代は7世紀初頭から8世紀初頭まで、いろいろな説があります。
福津市の教育委員会は7世紀前半と推測しているようです。前半ですから西暦650年以前ということになりますね。
おおよそ百済が滅亡した白村江の戦い(663年)より前という事でしょう。たしかに百済関係の遺物が多ければ、それらは白村江の戦い(663年)より以前に日本に持ち込まれた物ということになります。

 一方、この地方の実力者であった胸形君徳善(むなかたのきみとくぜん)の古墳だとするなら7世紀の終わりか8世紀の初め頃の古墳ということになるのです。
なぜなら、徳善は西暦684年に天皇より朝臣(あそみ)という名前を授かっているので、徳善は少なくとも 684年には存命だったことになるからです。
さてさて、実際はいつの時代の古墳なんだろうか?

 ◆ 太鼓から先は横穴石室古墳
太鼓から先は横穴石室古墳
 ◆ 古墳の入口
古墳の入口

 ◆ この場所から先は 1月28日、2月28日、7月28日の年に3回だけ入ることが出来る
この場所から先は 1月28日、2月28日、7月28日の年に3回だけ入ることが出来る

 ◆ 伸ばして撮影 (この古墳は諸説あるが7世紀後半にできたと推測されている)
伸ばして撮影 (この古墳は諸説あるが7世紀後半にできたと推測されている)

 ◆ 実は豪華な副葬品の多くが出土したのは古墳の入口の正面に建つ社務所あたり
実は豪華な副葬品の多くが出土したのは古墳の入口の正面に建つ社務所あたり

 ◆ 瑠璃壷(ガラスの壷)と銅壷は宮地嶽古墳の正面の山すそから出土とあるので社務所の裏辺りかな?
瑠璃壷(ガラスの壷)と銅壷は宮地嶽古墳の正面の山すそから出土とあるので社務所の裏辺りかな?

 ◆ 国宝の金銅荘頭椎大刀(こんどうそうかぶつちのたち)長さ3mを超える大大刀 ※再現品 (カメリア歴史資料館にて)
国宝の金銅荘頭椎大刀(こんどうせいかぶつちのたち)長さ3メートルを超える大大刀 ※再現品 (カメリア歴史資料館にて)

◆ 国宝となっている金銅製壺鐙(つぼあぶみ)7世紀の物
国宝となっている金銅製壺鐙(つぼあぶみ)7世紀の物
 ◆ 裏に回って見ると古墳なのが良く分かる
裏に回って見ると古墳なのが良く分かる

 ◆ 石室の巨石は直線距離で5キロも離れた恋の浦海岸相ノ島から運ばれたと推測されている
石室の巨石は直線距離で5キロも離れた恋の浦海岸やや相島から運ばれたと推測されている

 ◆ たしかに相ノ島の北部の海岸には大きな岩がゴロゴロある
たしかに相ノ島の北部の海岸には大きな岩がゴロゴロある




■■■■■ 毎年 2月28日の「ぜんざい祭」 ■■■■■

 ◆ 一つの石が高さ幅とも約5m奥行き数mに及ぶ巨石8個が左右に並ぶ
一つの石が高さ幅とも約5m奥行き数mに及ぶ巨石8個が左右に並ぶ

 ◆ 奥には祭壇がある
奥には祭壇がある


 ◆ 毎年2月28日はぜんざい祭
毎年2月28日はぜんざい祭
 ◆ 近くにある手光波切不動尊
近くにある手光波切不動尊
 ◆ 動画案内(詳細版 約3分)
宮地嶽古墳の動画案内



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