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相島 (あいのしま)

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福岡県糟屋郡新宮町相島

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◆◆◆◆◆ 相島 (あいのしま) ◆◆◆◆◆

 相島(あいのしま)は福岡県糟屋郡新宮町の新宮港から船で約20分万葉集・続古今集にも歌われた歴史のある島です。
平成31年3月末時点で世帯数約139世帯、人口約258名でありほとんどが漁業に従事しています。
この島は玄武岩が海蝕されてつくる独特の海岸風景を創っており、朝鮮通信使として来日したシンユハンが 「海遊録」に「余が航海して以来初めて見る神仙境である」と記しています。
「・・・初めて見る神仙境である」と言った景色は島の東部にある長井浜 (ナガイハマ)の景色だろう思いますが、そこには4世紀代〜7世紀代にかけて造られた約254基の積石塚古墳があります。 その海岸には大きな一抱えもある石がゴロゴロした浜辺です。その石を積み上げて古墳を造っているんですね。石で造った円墳や前方後円墳があるんです。
そこの風景は小さな半島である鼻面半島(はなずらはんとう)が見え、少し沖に鼻栗瀬(はなぐりせ)が見えます。とても風光明媚な場所です。 こういう良い一番良い場所を墓場にするとは、当時のその民族は死者に優しい民族だったんですね。今だと別荘が立ち並び墓場は暗いジメジメした谷に造る場合が多く死者に優しくないですね。
                   。

 相島は九州本土側(南側)のみに家があります。反対の北側は断崖絶壁となっており容易に近づけないですね。 ただ、穴観音のある所は崖を下りる道がありますが、2005年(平成17年)に起きた福岡西方沖地震により崖が崩れやすくなっており立ち入り禁止になっっています。
さて、この島の周遊は左回りが歩きやすいですね。船を降りて右に行くのが左回りです。その順に写真を掲載しています。

※ 掲載した内容は変更になるおそれがあります。自己責任で御利用ください。

 
 



 ◆ 連絡船(町営渡船しんぐう)が到着した相島漁港 ※ 渡船の時刻表ほか ※ ビッグ写真はここ
連絡船(町営渡船しんぐう)が到着した相島漁港

 ◆ 「町営渡船しんぐう」は67トンの双胴船(定員150人)
別のビッグ写真

「町営渡船しんぐう」は67トンの双胴船(定員150人)

 相島(あいのしま)海蝕された玄武岩がつくる神仙境
 相島(あいのしま)の海岸は砂浜はなく玄海の荒波で丸くなった小石や砂利でおおわれています。
古くは縄文時代より人が住んでいたらしく縄文時代の遺蹟もあるそうです。
 長井浜(ナガイ浜)の積石塚は4世紀代〜7世紀代のもので4〜6世紀の朝鮮の伽耶(カヤ)系の土器も出土しており、 朝鮮半島とのつながりや、 海人族との関係がうかがえる貴重な遺跡です。 積石塚は約254基あり全国的にもめずらしいものだそうです。平成13年に国指定遺跡になっています。

   江戸時代には朝鮮通信使の迎賓館「有待邸跡」があり多いときは400〜500人の 通信使が宿泊したそうです。「有待邸跡」は山の中にあります。 もっと港に近い場所が良い気がしますが、黒田藩は藩内の様子を見られることを警戒したんでしょうかね?
しかし、朝鮮通信使客館跡というのが港の近くにありますね。「客館跡」と「有待邸跡」は同じような感じですが、違うんでしょうね。偉い人の接待処が「有待邸跡」で付き人達を接待する処が「客館跡」かな?

 通信使関連のものは井戸が2か所あります。若宮神社の境内と町中のごちゃごちゃした分かり難い場所に「茶屋の井戸」というのがあります。「この井戸でお茶を飲むと美味しい」と現地の人が言ってました。 渡船が着く船着き場の南側の波止も通信使の時代の波止だそうです。大きな石を積み上げて造っています。

相島(完全版)動画案内(約11分)


 ◆ 相島全景(新宮町発行「新宮の風」より写真転載)
相島全景(新宮町発行「新宮の風」より写真転載)
 ◆ 相島の地図 (2007年10月作成)
相島の地図 (2007年10月作成)

 ◆ 相島漁港周辺の街並み ※ ビッグ写真はここ
相島漁港周辺の街並み

 ◆ 最近はネコの島として有名ですが・・・
最近はネコの島として有名ですが・・・
 ◆ ネコは港の周りにちらほら(20〜30匹程度かな?)
ネコは港の周りにちらほらいるだけ(20〜30匹程度かな?)

 ◆ 相島渡船待合所
相島渡船待合所
 ◆ 相島観光交流拠点施設「島の駅あいのしま」
相島観光交流拠点施設「島の駅あいのしま」

 ◆ 相島購買店という店がある
相島購買店という店がある
 ◆ ここで食料の調達もできる
ここで食料の調達もできる

 ◆ 相島漁港には漁船がたくさん
相島漁港には漁船がたくさん
 ◆ 漁港のそばに恵比寿神社がある
漁港のそばに恵比寿神社がある

 ◆ 旅館 丸巳屋というのがある(宿泊施設はここだけ)
旅館 丸巳屋というのがある(宿泊施設はここだけ)
 ◆ タコ壺が山積み (最近はコンクリート製だ)
タコ壺が山積み(最近はコンクリート製だ)

 ◆ 相島小学校
相島小学校
 ◆ 新宮中学校相島分校
新宮中学校相島分校

 ◆ まだまだ桜は残っている
まだまだ桜は残っている
 ◆ 小学校の上にある貯水池(水が少ないようだ)
小学校の上にある貯水池(水が少ないようだ)

◆ 相島漁港周辺の街並みが見える(平成31年3月末時点 人口総数: 258 人 世帯総数: 139 世帯)※ ビッグ写真
相島漁港周辺の街並みが見える (平成31年3月末時点 人口総数: 258 人 世帯総数: 139 世帯)

 ◆ 海沿いの道には桜がいっぱい咲いていた
海沿いの道には桜がいっぱい咲いていた
 ◆ 天気が良い日にのんびり散策も良い
天気が良い日にのんびり散策も良い
 ◆ 今日は4月12日というのに多くの桜が残っている
今日は4月12日というのに多くの桜が残っている

 ◆ 剣神社というのがある ※場所
剣神社というのがある
 ◆ 剣神社社殿(明治時代に多数の刀剣が発見された)
剣神社社殿(明治時代に多数の刀剣が発見された)

 ◆ 日蒙供養塔(通称 蒙古塚) ※場所
日蒙供養塔(通称 蒙古塚)
 ◆ 説明版 ※ ビッグ写真はここ
説明版

 ◆ 蒙古塚から見る漁港方面
蒙古塚から見る漁港方面

 ◆ 蒙古塚から相島積石塚群に行く近道がある
蒙古塚から相島積石塚群に行く近道がある
 ◆ 朝鮮通信使関連遺跡「石碑」がある(説明)※場所
朝鮮通信使関連遺跡「石碑」というのがある(説明板)

 ◆ 「夏だけ温泉」の看板がある?
「夏だけ温泉」の看板がある?
 ◆ このどこに温泉があるのか? (不明)
このどこに温泉があるのか?(不明)


 
 

◆◆◆◆◆ 長井浜 (ナガイハマ) ◆◆◆◆◆  ※場所はここ

 相島の東端にある長井浜(ナガイハマ)は島随一の絶景が望める場所です。
朝鮮通信使として来日したシンユハンが「海遊録」に「余が航海して以来初めて見る神仙境である」と記しているのも、たぶんこの場所の風景を見て書いたものと思われます。

 この長井浜 (ナガイハマ)には石だけで出来ている古墳(石積塚古墳)があり、約254基が確認されています。前方後円墳や円墳もあります。
これらの古墳は4世紀代〜7世紀代にかけて造られたもので、伽耶(4〜6世紀頃、朝鮮半島にあった国)系と思われる須恵器も何点か見つかっています。 海人族との関係や半島や大陸とのつながりを感じる遺物ですが、誰が造ったのかは分かっていません。

 長井浜(ナガイハマ)からみる鼻栗瀬(通称:めがね岩)と石ころの海岸は、なんとも言えない良い風景です。
これだけの風景が、もし九州本土にあれば、ドライブインはでき観光客が絶えない名所になるでしょうが、 ここは交通の便が悪い島ですから、訪れる人はちらほらと少ないですね。聞こえる音は波の音と風の音だけです。この絶景と海岸を独り占めした気分になれます。

 
 

 ◆ 朝鮮通信使関連墓地
朝鮮通信使関連墓地
 ◆ 説明板 ※ ビッグ写真はここ
説明板

 ◆ 鼻栗瀬(はなぐりせ)と鼻面半島(はなずらはんとう)のパノラマ ※ 説明板 ※ ビッグ写真はここ
鼻栗瀬(はなぐりせ)と鼻面半島(はなずらはんとう)のパノラマ ※ 説明板

 ◆ 相島南塚142号墳 ※ 説明板
相島南塚142号墳	※説明板

 ◆ 4世紀代〜7世紀代にかけて造られたもので254基の積石塚が確認されているそうだ
4世紀代〜7世紀代にかけて造られたもので254基の積石塚が確認されているそうだ

 ◆ 相島南塚(142号墳)方墳 竪穴式石室 5世紀
相島南塚(142号墳)方墳 竪穴式石室 5世紀

 ◆ これらの積石塚は最近 整備されたもの。2007年時点ではなかった ※ ビッグ写真はここ
これらの積石塚は最近 整備されたもの。2007年時点ではなかった

 ◆ 2007年10月時点の長井浜(ナガイ浜)。 石がゴロゴロしているだけだった 
2007年10月時点の長井浜(ナガイ浜)。 石がゴロゴロしているだけだった

 ◆ この雄大な景色の中で眠る事が出来た人は幸せ者だ ※ ビッグ写真はここ
この雄大な景色の中で眠る事が出来た人は幸せ者だ

 ◆ 一番大きな相島大塚(120号墳)は前方後円墳で長さが20m、高さが約2.5m
一番大きな相島大塚(120号墳)は前方後円墳で長さが20m、高さが約2.5m

 ◆ 中央左は相島大塚(120号墳)
中央左は相島大塚(120号墳)

 ◆ 相島北塚(1号墳) ※ 説明板
相島北塚(1号墳) ※説明板

 ◆ 高台から見る相島積石塚群と鼻栗瀬(はなぐりせ)、鼻面半島(はなずらはんとう) ※ ビッグ写真
高台から見る相島積石塚群(あいのしまつみいしづかぐん)と鼻栗瀬(はなぐりせ)、鼻面半島(はなずらはんとう)

 ◆ この景色を見て朝鮮通信使シンユハンが「海遊録」に
「余が航海して以来初めて見る神仙境である」と記したと思われる ※ ビッグ写真

この景色を見て朝鮮通信使シンユハンが「海遊録」に「余が航海して以来初めて見る神仙境である」と記したと思われる

 ◆ 鼻栗瀬(はなぐりせ)は通称めがね岩と言われている
鼻栗瀬(はなぐりせ)は通称メガネ岩と言われている

 ◆ 福津市にある宮地嶽神社から見る「光の道」。相島も西の方向(極楽浄土の方向)に見える ※カーソルON!
福津市にある宮地嶽神社から見る「光の道」。相島も西の方向(極楽浄土の方向)に見える


 
 

◆◆◆◆◆ 積石塚群は誰が造ったのか ◆◆◆◆◆

 相島積石塚古墳は 4世紀代〜7世紀代にかけて造られた古墳群だということが確認されています。そして伽耶(4〜6世紀頃、朝鮮半島にあった国々の名前)系と思われる須恵器も何点か見つかっています。 しかし、誰が造ったかは分かっていません。

 宮地嶽神社の「光の道」が最近脚光をあびて有名になっていますが、その写真を撮った時に、相島(あいのしま)が意外に近くに見えるのです。太陽の沈む西の方向に見えます。 西と言えば仏教的には極楽浄土のある方向です。この古墳ができた当時には仏教はまだ、日本に入ってなかったのですが、太陽が沈む=死、という概念はあったと思います。
それで、海人族だった宗像族が相島を死者を弔う墓場として利用したのではないか? と、いうのが私の推測です。 相島(あいのしま)の積石塚古墳群は宗像方面に面した浜にあります。宗像方面を見ながら眠っているのです。

ちなみに宮地嶽神社の奥の院になっている宮地嶽古墳は 7世紀の後半(前半と言う説もある)にできた古墳で、横穴式石室で使われている巨石は、相島(あいのしま)から持ち込んだものだと分かっています。
ようするに相島(あいのしま)は福岡市にあった奴国の影響圏内でなく、宗像族の影響権内にあった島だったのだと思うのです。

 宗像族の古墳は最近世界遺産になった奴山古墳群津屋崎古墳群など 5世紀前半から7世紀にかけてできた多くの古墳があります。
首領格の人達は大きな古墳を造ることができますが、部下や一般民衆は、古墳を造ることができないので、相島の浜辺を墓場として利用したのではないか? というのが私の推理です。

また、宗像の近くには相島(あいのしま)、筑前大島、地島と3つの島がありますが、筑前大島地島の2つの島には、古代の墓地がない、どこを掘ってもそれらしいものが無いそうです。水葬したのか? と言われていますが、 私はこの近辺の墓場であった相島に埋葬したと推測するのです。
簡潔に言えば宗像地方の首領くらす、会社で言えば会長や社長や役員は古墳を造り、その下の課長や係長、主任、平社員は相島に積石塚古墳を造ったり、古墳というほどでもない20個くらいの石で囲んで埋葬した。これが私の勝手な推測です。

 
 

 ◆ タケノダンから見る絶景 この絶壁の下の穴の中に穴観音はあった
(福岡西方沖地震により崖が崩れやすくなっており立ち入り禁止になった)※場所

タケノダンから見る絶景 この絶壁の下の穴の中に穴観音はあった(福岡西方沖地震により崖が崩れやすくなっており立ち入り禁止)

 ◆ 2007年に撮った穴観音の内部  ※ 説明板 ※ ビッグ写真はここ
2007年に撮った穴観音の内部  ※説明板

 ◆ 太閤潮井の石(たいこうしおいのいし) ※ 説明板
太閤潮井の石(たいこうしおいのいし) ※説明板
 ◆ 秀吉軍が戦勝祈願した岩宮神社
秀吉軍が戦勝祈願した岩宮神社
 ◆ 岩宮神社の祠(ほこら)
岩宮神社の祠(ほこら)

 ◆ 道のそばに「史跡 有待邸跡」の碑がある ※場所
道のそばに「史跡 有待邸跡」の碑がある ※場所はここ
 ◆ こんな山の中に有待邸があったのに驚く
こんな山の中に有待邸があったのに驚く

 ◆ 遠見番所跡(物見櫓(やぐら)跡の石垣)※場所
遠見番所跡(物見櫓(やぐら)跡の石垣)
 ◆ そばに筑前相島燈台(設置 昭和51年3月)がある
そばに筑前相島燈台(設置 昭和51年3月)がある
 ◆ 説明板 ※ ビッグ写真はここ
説明板

 ◆ 海岸そばの道路まで下りてきた
海岸そばの道路まで下りてきた
 ◆ 龍王石(八大龍王石神)がある ※場所
漁民が信仰する八大龍王をまつる御神体石


 
 

◆◆◆◆◆ 龍王石 ◆◆◆◆◆

「筑前国風土記附録」に「八大龍王石神、タカイシワラ(地名)」として出ています。漁を生業とする海の男の信仰を一身に集める龍王石です。御神体は自然石で周囲750cm、横256cm、高さ216cmの石です

 
 

 ◆ 道の上に何かある
道の上に何かある
 ◆ 「護国之英霊」の碑があった
「護国之英霊」の碑があった

 ◆ 新宮寺の入り口にある地蔵さん
新宮寺の入り口にある地蔵さん
 ◆ 島で唯一の寺「新宮寺」
島で唯一の寺「新宮寺」

◆ 畑の中に朝鮮通信使客館跡  ※ 説明場所
畑の中にある朝鮮通信使客館跡
 ◆ 朝鮮通信使客館跡の碑
朝鮮通信使客館の碑

 ◆ 若宮神社 ※場所
若宮神社
 ◆ 若宮神社の境内にある通信使も利用した井戸
若宮神社の境内にある通信使も利用した井戸

 ◆ 茶屋の井戸というのもある ※場所
茶屋の井戸というのもある
 ◆ この井戸も通信使が利用した(お茶が美味しい水)
ここも通信使も利用したそうだ

 ◆ この波止も通信使時代の波止
この波止も通信使時代の波止
◆ おもしろい案内板※ ビッグ写真
おもしろい案内板
 ◆ 相島(完全版)動画(約11分)
相島 動画案内


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相ノ島への連絡船と時刻表(町営渡船ほか)
相ノ島周辺マップ(Google Map)  地図の中央 '+' あたりが相ノ島渡船場の位置です。
新宮港周辺マップ(Google Map)  地図の中央 '+' あたりが新宮港渡船場の位置です。
新宮町の公式ホームページ
新宮町商工会のホームページ
  *連絡船注意事項
  自転車、二輪車、の乗船は、原則として平日のみで、二輪車(原付も含む)は、島の人が島で利用される方、
  及び工事等の業者の人が利用される方のみとなっています。

  *相島渡船場(新宮港)までの交通アクセス
  ■西鉄新宮駅から徒歩30分
  ■JR福工大前から新宮港までは町営のコミュニティバスがある(所要時間約10分)
  ■西鉄新宮駅から新宮港までは町営のコミュニティバスがある(所要時間約12分)
  ■車の場合は新宮港の「相島渡船場」そばに有料駐車場があります。12時間300円(2020/02/20 時点)

  *インフォメーション
    ■新宮町教育委員会(文化財) 092-962-3261
    ■新宮町役場産業課(観光)  092-963-1734
    ■新宮町商工水産課      092-962-0238
    ■新宮渡船待合所       092-962-0482
    ■相島渡船待合所       092-963-0304




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