◆ 「あんずの里」に咲くアンズの花(2005/4/04 撮影)
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春には4000本のアンズが花を咲かせる
あんずの里運動公園の入口から、園内奥の駐車場へ向かう道の途中の「ふるさとレストランあんず」の下に 名児山(なちごやま)万葉歌碑があります。
万葉集を代表する女流歌人、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が詠んだ歌で
「少彦名(すくなびこな)の 神こそは 名づけ始(そ)めけめ 名のみを 名児山と負ひて わが恋の千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰めなくに」
と刻んでいます。
恋に悩む心の苦しさを名児山に訴えかけた歌で、天平2年(730年)に奈良の都に帰る時に奴山(ぬやま)から田島に行く途中の大坂越(おおさかごえ)で詠んだ歌です。
なお、展望台にも後九条内大臣が勝浦を眺めて詠んだ歌碑があり「秋の夜の潮干の月の かつらがた やままでつづく 海の中道」と刻んでいます。
この「後九条内大臣」は九条 基家(くじょう もといえ)(1203-1280年)のことで鎌倉時代中期の宮廷歌人です。
大伴坂上郎女が詠んだこの歌により古代の街道であった駅路(えきろ)が
岡垣町波津から鐘崎、神湊 名児山(なごやま)越え、津屋崎に至る海岸沿いだったという説の根拠の一つになっています。
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