新原・奴山古墳群と新原の百塔板碑 |
◆ 玄界灘を望む低い丘の上に59基の古墳群がある(5世紀から6世紀に造られたもの) ※ 超ビッグ写真はここ
◆ グーグルアース写真 ※ ビッグ写真はここ ◆ 『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群 が2017年7月9日にユネスコの世界文化遺産に登録されました。 ◆ 中央の小山は40号古墳(円墳) ◆ 30号古墳(前方後円墳) ◆ 横から見ると前方後円墳が良く分かる
◆ 25号古墳(円墳) ◆ 昭和学園の方から見る古墳群(左の手前は40号) ※ この一列に並んだ10基ばかりの古墳は宗像君の家臣の古墳 ◆ 奴山(ぬやま)地区 後ろの山を越した所に宗像大社(辺津宮)があります ◆ 【5世紀前半】 最古で最大の22号古墳と24号古墳 (22号は前方後円墳だが、今は円墳の部分だけ残っている) ◆ 最古で最大の22号古墳の西側には縫殿宮(ぬいどのぐう)の鳥居がある
◆ JAむなかた津屋崎カントリーエレベータ(穀物の乾燥施設)と20号古墳(円墳) ◆ 20号古墳(円墳) ◆ 【5世紀前半】 24号古墳(前方後円墳) ※ ビッグ写真はここ ◆ 【5世紀前半】 24号古墳(前方後円墳)とヒガンバナ (2020/9/27 撮影) ※ ビッグ写真はここ ◆ 【5世紀前半】 1号古墳(元は前方後円墳だが、今は円墳の部分だけ残っている) ◆ JAむなかた津屋崎カントリーエレベータ(穀物の乾燥施設) ◆ 【5世紀後半】 12号古墳(前方後円墳)はカントリーエレベータ(穀物の乾燥施設)のそばにある ◆ カントリーエレベータ(穀物の乾燥施設)の南東の畑は古墳時代(3世紀中頃-7世紀頃)には海だった ◆ この道のある所も古墳時代には海だった。海に面した所に7号古墳(方墳)はある ◆ 【5世紀前半】7号古墳は唯一の「方墳」で、普通の古墳ではなく「まつり」を行う祭壇だったのでは? とも言われている
■■■■■ 新原の百塔板碑 (ひゃくとういたび) ■■■■■
◆ 新原の百塔板碑(5世紀前半に造られた新原・奴山21号古墳の上に14基の石塔が建っている) ◆ 新原の百塔板碑(石塔には梵字(古代インド文字)と観音菩薩や大日如来などを線彫したものもある) ◆ 新原の百塔板碑は文永十一年(1274)に建てられたと刻まれている石塔もあり鎌倉時代中頃に造られたようだ ◆ 平家一族の霊を弔うためとか、蒙古襲来の戦死者の供養に建てられたとかの説がある
◆ 宗像市史 通史編 第二巻(p571)に勝浦の大乗院にも似たような板碑が 3基あるとあったので、
◆ 薬師如来(やくしにょらい)かな
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