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許斐山 (このみやま) 271m

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◆◆◆◆◆ 許斐山(このみやま) ◆◆◆◆◆

 許斐山(271m)は福津市八並(やつなみ)と宗像市王丸の間に横たわる山です。この近辺の小学校や中学校の校歌に必ず登場する山です。 手軽に登れる山として登山者も多く、市民に親しまれています。

八並吉原口登山道の案内板によると、許斐山(このみやま)という名前も変わっていますが、この名前は約1000年前から使われているようです。

=============== 八並吉原口 案内板引用 ================
  許斐山は福間町と宗像市の境にあり、約1000年ほど前に宗像大宮司家が許斐館(このみかん)を築いて以来の歴史ある山で周辺には数多くの史跡があります。
登山道は福間町側と宗像市側とがあり、福津市側は、八並区吉原(やつなみくよしはら)が登山口となっています。吉原登山口から頂上までは、約40分で登ることができ、手軽に楽しめる登山コースとして親しまれています。 頂上からの眺めはすばらしく、遠くは玄界灘まで見渡すことができます。また、頂上には王子神社があり、宗像側の登山道を下っていくと熊野神社や六の宮があります。

 許斐氏の家系に「天慶年中(938〜947年)、初代宗像大宮司清氏(きようじ)の次男氏章(うじあき)が許斐の姓を賜り、宗像郡王丸村(宗像市王丸)に城を構えて居住した。 以来、後の山を許斐山(このみやま)という」とあり、この時、許斐山城が築城されました。
そして許斐氏章(うじあき)居住から約500年後、享禄(きょうろく)2年(1529)に 宗像の重臣 占部豊安(うあらべとよやす)が、この山が要害であり、宗像大社にも近いことから、時の守護大名 大内義隆に久しく廃城になっていた許斐山城の再興を願い出て再び築城しました。 その後55年間、許斐山城は堅固な要塞として豊後から筑前に進出してきた大友氏の軍勢の前に立ちはだかり、その威容を誇っていました。(福津三十六景)
*=============== 八並吉原口 案内板引用 おわり=============

=============== 王丸登山口 案内板引用 ================
 許斐山。標高271mは宗像市と福津市のの境に位置している。宗像大宮司正三位中納言筑前守清氏親皇の王子氏章が姓を許斐と改め鶴羽山を許斐山と改めた。

 大治五年(1130年)宗像大宮司第十五代氏平が姓を許斐と改め許斐山に築城、第十六代氏宗がこの城を補修し、正式に宗像本家の出城とし、その子氏元が許斐家始祖と称されている。 明応八年(1499年)蔦ヶ嶽(つたがたけじょう)城主から攻められて、第二十五代許斐城主氏能は、田島の岩ヶ崎城にて戦死、城はつぶされた。
享禄二年(1529年)宗像家臣占部筑前守豊安がこの城を再営し、尚安、尚持と三代三十七年間続きその後許斐左馬大夫氏備が城主となっていたが、天正十五年(1587年)宗像家断絶のとき廃城となった。
=============== 王丸登山口 案内板引用 おわり=============

 許斐山の前の名前は「鶴羽山」と言っていたんですね。それにしても、よく分からないのが「王丸登山口 案内板」に書いてある、 明応八年(1499年)蔦ヶ嶽(つたがたけじょう)城主から攻められて、第二十五代許斐城主氏能は、田島の岩ヶ崎城にて戦死、城はつぶされた。・・・ この時の蔦ヶ嶽(つたがたけじょう)城主は誰だったんでしょうね? 宗像氏ではなかったのかな? それとも宗像氏一族同士で争ったのかな? 謎です。

※ 掲載した内容は 2014年 3月19日時点の内容です。変更になるおそれがあります。自己責任で御利用ください。

許斐山登山(八並本道)の動画案内(約7分)

許斐山登山(王丸本道)の動画案内(約8分)


 
 


 ◆ 八並(やつなみ)地区から見る許斐山(許斐山)一番左が最高峰 271m
八並(やつなみ)地区から見る許斐山(許斐山)一番左が最高峰 271m


 ◆ 許斐山マップ ※ ビッグ地図はここ
許斐山マップ

 許斐山(このみやま)の登山道は4本あります。詳細は左の地図を参照ください。
登山道は八並本道か王丸本道を利用する人が多いですね。どちらとも、ゆっくり登って40〜50分で山頂に到着できます。

● 吉原の里城
 八並からの登山路は吉原口からですが、昔は、ここを「吉原の里城」と言っていたそうだ。
占部一族が城を構えてから55年間、何回となく大友勢(立花城)との間に戦闘が繰り返されているが、その合戦のほとんどが、 この吉原の里城を中心に行われています。
この許斐山登山口には十殿谷(じゅうとんだに)とか右近屋敷(うこんやしき)などと呼ばれている所があり、 旧屋敷跡と思われる広さの平坦な場所が段上に重なり、急坂がその山麓まで続いています。
参考文献 ふるさと文化財探訪記(平成3年 福間町教育委員会出版)

 今回、八並本道と王丸本道から許斐山に登ってきました。途中にある史跡なども、いっしょに紹介します。

動画案内(約7分)


■■■■■ 八並本道からの登山 ■■■■■ ======================================================*


 ◆ 八並本道から登ります。モクレンが咲いています
八並本道から登ります。モクレンが咲いています
 ◆ 左に納骨堂があり吉原源内左衛門貞安の墓がある
左に納骨堂がありそこに吉原源内左衛門貞安の墓がある

 ◆ 永禄三年(1560)と書いてある
永禄三年(1560)と書いてある

 吉原源内左衛門は宗像家の重臣 許斐城主二代目占部尚安の三男で、占部一族きっての勇士であったという。
● ふるさと文化財探訪記(福間町教育委員会発行)p99〜p100 によると、下記のように書いてあります。
『筑前国続風土記捨遺』には「麻生麻生鎮氏、許斐山より吉原に下る山中道側に在。印に野石立り。銘文なし。永禄二(1559)年三月、 宗像が臣、吉原源内左衛門に射殺されて、ここに葬る」とあり・・・・
射殺とは? 鉄砲でしょうかね? 

●「筑前国続風土記附録」によると
 吉原源内左衛門は、天正11年(1583年)3月15日に戦死した。同日、立花山の立花道雪以下大友勢が宗像郡内へ進攻。 急報を受けて駆けつけた宗像氏貞勢と許斐山大手口の吉原で激戦となった。
この時、立花家臣 薦野勘解由之丞(こもの かげゆし よしのじょう)に討たれたという。
これをきっかけに宗像勢は崩れ氏貞は蔦ヶ岳(つたがたけ)城に退き、許斐山の籠城組(ろうじょうぐみ)は大島に逃れた。
吉原源内左衛門は剛勇の士として広く知られていたらしい。討った薦野勘解由之丞には大友義統(のちの宗麟)より、 よくやったと、兜が贈られたという。

さて、上に記述の吉原源内左衛門と墓のある吉原源内左衛門貞安が同じ人かどうか分からないが、 「筑前国続風土記附録」に書いてある源内左衛門とは死亡した日付が違うようだ?

 ◆ 吉原池というのがある
吉原池というのがある


 吉原池の近くに吉原観音堂があります。長い石段の上にある小さな簡素な御堂です。
簡素な御堂ですが郡内でも古い由緒ある御堂です。
宗像大社所蔵、国指定の重要文化財である鎌倉時代初期(西暦1200年頃かな?)の文献、色定法師(しきじょうほうし)の一切経写経の中に、 この御堂の事が書かれているそうだ。800年以上の歴史があることになります。
昔、このあたりに吉原寺というのがあって色定法師(しきじょうほうし)さんはその寺で写経をしたそうです。
本尊は十一面観世音菩薩坐像、全高58cm、木、製作年代は不詳です。現在は宗像四国西部第六十二番の札所です。
 ◆ 昔には吉原の里城があった所
昔には吉原の里城があった所

 ◆ 池のそばに吉原観音堂がある
池のそばに吉原観音堂がある
 ◆ 石段入口に猿田彦の碑がある
石段入口に猿田彦の碑がある
 ◆ 吉原観音堂
吉原観音堂

 ◆ 鎌倉時代初期の文献にも書かれており、郡内でも古い由緒ある御堂
鎌倉時代初期の文献にも書かれており、郡内でも古い由緒ある御堂

 ◆ 観音堂の中 (本尊は十一面観世音菩薩坐像)
観音堂の中(本尊は十一面観世音菩薩坐像)
 ◆ 境内にある祠(ほこら)など
境内にある祠(ほこら)など



吉原口

 「やさしい福間町の歴史(福間町発行) p81 によると
 許斐山城主の占部氏は許斐山のふもとの吉原に館(やかた)を建て、普段はそこで生活をし、 敵が攻めてくると、許斐山城に入り敵と戦ったと云われています。・・・・・
この吉原口に占部氏の里城があったと思われます。


 ◆ 許斐山登山再開。歴史を感じる吉原口の佇まい
許斐山登山再開。歴史を感じる吉原口の佇まい
 ◆ 登山者用のトイレがある
登山者用のトイレがある

 ◆ 駐車場もある
駐車場もある
 ◆ 比較的なだらかな道
比較的なだらかな道
 ◆ 旧屋敷跡と思われる広さの平坦な場所がある
旧屋敷跡と思われる広さの平坦な場所がある

 ◆ 登山道
登山道
 ◆ 砂防ダムが作られている
砂防ダムが作られている
 ◆ 杉林になった
杉林になった

 ◆ 登山道の中間地点に麻生鎮氏(あそうしげうじ)の墓がある
登山道の中間地点に麻生鎮氏(あそうしげうじ)の墓がある

 ◆ 麻生鎮氏(あそうしげうじ)は立花方(粕屋郡)の武将
麻生鎮氏(あそうしげうじ)は立花方(粕屋郡)の武将

 ◆ 永禄2年(1559年)に登山道の入口に墓のあった吉原源内左衛門貞安が討ち取った
永禄2年(1559年)に登山道の入口に墓のあった吉原源内左衛門貞安が討ち取った

 ◆ 急な登山道が続く
急な登山道が続く
 ◆ 所々に手作りのベンチがある
所々に手作りのベンチがある
 ◆ 登山道はきちんと整備されている
登山道はきちんと整備されている

 ◆ 許斐山城の用水池であった金魚池がある
許斐山城の用水池であった金魚池がある

 ◆ 金魚がいたので金魚池の名前になったそうだ
金魚がいたので金魚池の名前になったそうだ

 ◆ 福間尾根線、宗像尾根線と合流する場所
福間尾根線、宗像尾根線と合流する場所

 ◆ 正面の崖の上が山頂
正面の崖の上が山頂
 ◆ 山頂 ゆっくり登って40〜50分で山頂に到着
山頂 ゆっくり登って40〜50分で山頂に到着

 ◆ 山頂
山頂

 ◆ 山頂には王子神社の祠(ほこら)がある
山頂には王子神社の祠(ほこら)がある

 ◆ 今日は見透しが悪い(PM2.5かな?)
今日は見透しが悪い(PM2.5かな?)

 ◆ オートバックスやヤマダ電機、亀の井ホテルが見える
オートバックスやヤマダ電機、亀の井ホテルが見える

 ◆ 王子神社の祠(ほこら)
王子神社の祠(ほこら)

 ◆ 石仏もある
石仏もある

 ◆ 一段低い所に山小屋がある
一段低い所に山小屋がある
 ◆ 山小屋
山小屋

 ◆ 急な雨の時に雨宿りには良い
急な雨の時に雨宿りには良い
 ◆ 整理整頓されている山小屋の中
整理整頓されている山小屋の中

 ◆ 時計もほぼ合っている
時計もほぼ合っている
 ◆ ベンチもある
ベンチもある

 ◆ 下りも足がガクガクしてきつい!
下りも足がガクガクしてきつい!
 ◆ 植物や野鳥も ビッグ写真
植物や野鳥も豊富
 ◆ 動画案内(詳細版 約7分)
許斐山登山(八並本道)の動画案内





■■■■■ 王丸本道からの登山 ■■■■■ =====================================================*


 
 

◆◆◆◆◆ 王丸本道からの登山 ◆◆◆◆◆

 王丸本道にはりっぱな駐車場があり、その上の数段は「このみ公園」になっています。
公園は雑草が生えて荒れている感じです。あまり利用もされていないようです。

 最後の民家の所に案内板が立っており、そこに許斐山の絵が描いてある案内板があります。
この絵の中の「なびき石」と「桝形井戸」が絵の場所にはありません。このカンバンと六の宮の間にあるように描いてあるが、どう探しても見つからないのです。
そこで隣の案内板の地図を見ると、もっと下の位置のようです。

 それで山に登り帰るときに徹底的に探しました。井戸は2つありましたが、一つは今風の普通の井戸ですから対象外ですね。 残る一つは形が変わっている井戸です。場所は駐車上の2段上の段にある池のそばです。

 この井戸が「桝形井戸」としたら、奥に見える大石が「なびき石」なのかな? これが合っているかどうか分かりませんが、それらしい井戸はこれしかなかったですね。

※ 掲載した内容は 2014年 5月28日時点の内容です。変更になるおそれがあります。自己責任で御利用ください。

動画案内(約8分)

 
 

 ◆ 王丸本道の登山口には駐車場やトイレがある   ※ 2014/5/28 撮影
王丸本道の登山口には駐車場やトイレがある   ※ 2014/5/28 撮影

 ◆ 駐車場の上は「このみ公園」になっている
駐車場の上は「このみ公園」になっている
 ◆ 公園には池などもあるが荒れている
公園には池などもあるが荒れている

 ◆ これが地図にある「桝形井戸」と「なびき石」かな?
これが地図にある「桝形井戸」と「なびき石」かな?
 ◆ この辺りに、それらしい井戸はこれしかない!
この辺りに、それらしい井戸はこれしかない!

 ◆ 民家があるところまでは、なだらかな舗装された道
民家があるところまでは、なだらかな舗装された道
 ◆ 最後の民家の所に案内板がある ※ビッグ写真はここ
最後の民家の所に案内板がある

 ◆ 登山道が直角に曲がる所に猿田彦大神の石碑がある
登山道が直角に曲がる所に猿田彦大神の石碑がある
 ◆ 明治四十一年と書いてある猿田彦大神の石碑
明治四十一年と書いてある猿田彦大神の石碑

 ◆ 「六の宮」というのがある
「六の宮」というのがある

 ◆ 今の社は許斐宮へ六の宮、心吉宮、山神社を合祀したもの
今の社は許斐宮へ六の宮、心吉宮、山神社を合祀したもの

 ◆ 社殿は新しいようだ
社殿は新しいようだ

 ◆ 境内社の祠(ほこら)がいくつかある
境内社の祠(ほこら)がいくつかある

 ◆ 小さな本殿
小さな本殿
 ◆ 手水鉢(ちょうずばち) 珪化木かな?
手水鉢(ちょうずばち)珪化木かな?
 ◆ 六の宮の説明板 ※ ビッグ写真はここ
六の宮の説明板

 ◆ 大きな砂防ダムがある
大きな砂防ダムがある
 ◆ 竹林の中を登る
竹林の中を登る
 ◆ ゆるやかな登山道
ゆるやかな登山道

 ◆ 登山道に鳥居がある
登山道に鳥居がある
 ◆ 額には「熊野宮」と書いてある
額には「熊野宮」と書いてある

 ◆ 明治21年に建立されたようだ
明治21年に建立されたようだ
 ◆ 日露戦争出征の碑がある
日露戦争出征の碑がある

 ◆ きれいな竹林
きれいな竹林
 ◆ すがすがしい登山道
すがすがしい登山道

 ◆ 「みんなの森」というのがある
「みんなの森」というのがある
 ◆ 頂上まで残り440m
頂上まで残り440m

 ◆ 石灯籠がある
石灯籠がある

 ◆ 長い段々道が続く
長い段々道が続く
 ◆ 登山道
登山道
 ◆ 道の上に木が倒れている
道の上に木が倒れている

 ◆ ヤマダ電機やオートバックスなどが見える
ヤマダ電機やオートバックスなどが見える


 
 

◆◆◆◆◆ 熊野神社(熊野宮) ◆◆◆◆◆

 熊野神社は小祠ながらも、その創建は古く平安時代前期、天安元(857)年修験者(山伏)紀州熊野の本宮より勘請し祭祀したものといわれています。
天正年間(1573〜1591)小早川隆景が筑前の国主だった頃 熊野権現祭祀の最盛期で年間24度の祭典が行われ許斐流神楽が奉納されました。 その中の許斐流太鼓は継承されています。
また、宗像大宮司氏貞や天正16年(1588)年、筑前の国主であった小早川隆景などが寄進したといわれる神楽面数点が麓の王丸区に大切に保存されています。
熊野宮、熊野神社、熊野権現と呼び方はいろいろあるが「金魚山 熊野神社」が正式のようです。


 
 

 ◆ 熊野神社(熊野宮)が見えてきた。後ろの岩壁は「三尊石」、そして杉は「喜平杉」
熊野神社(熊野宮)が見えてきた。後ろの岩壁は「三尊石」、そして杉は「喜平杉」

 ◆ 創建は古く平安時代前期、天安元(857)年
創建は古く平安時代前期、天安元(857)年

 ◆ 拝殿の中
拝殿の中
 ◆ 祭壇
祭壇

 ◆ 落ちてきそうな「三尊石」
落ちてきそうな「三尊石」
 ◆ 「喜平杉」
「喜平杉」

 ◆ 尾根に出た
尾根に出た
 ◆ もうすぐ山頂だ!
もうすぐ山頂だ!

 ◆ 最後の段々道
最後の段々道
◆ 山頂に到着 ゆっくり登って40〜50分で山頂に到着
山頂に到着 ゆっくり登って40〜50分で山頂に到着

 ◆ 王子神社の祠(ほこら)と石仏
王子神社の祠(ほこら)と石仏

 ◆ 今日は天気は良いが見透しはまあまあだ!
今日は天気は良いが見透しはまあまあだ!

 ◆ 宗像四塚連峰(むなかたよつづかれんぽう)が見える
宗像四塚連峰(むなかたよつづかれんぽう)が見える

 ◆ ユリックスやオートバックス辺りも良く見える
ユリックスやオートバックス辺りも良く見える

 ◆ 王子神社の祠(ほこら)
王子神社の祠(ほこら)
 ◆ 石仏
石仏
 ◆ 方位盤
方位盤

 ◆ 一段低い所に山小屋がある
一段低い所に山小屋がある
 ◆ 山小屋
山小屋

 ◆ 山小屋の中
山小屋の中
 ◆ 登山記録帳がある
登山記録帳がある

 ◆ 今日は天気が良いので登山者が多い
今日は天気が良いので登山者が多い

 ◆ 福津市側は景色が見えない
福津市側は景色が見えない
 ◆ 少し平らな場所もある
少し平らな場所もある
 ◆ 動画案内(詳細版 約8分)
許斐山登山(王丸本道)の動画案内


■■■■■ 八並(やつなみ) 関連のページ ■■■■■ ==========================================*

・ 許斐山(このみやま)
八並不動尊大祭
八並の庚申堂
太閤水と殿ん屋敷



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許斐山周辺マップ(マピオン)  中央 '+' あたりが「許斐山」山頂の位置です。
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