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唐津街道 青柳宿 (あおやぎしゅく)

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福岡県古賀市青柳町
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◆◆◆◆◆ 唐津街道 青柳宿(あおやぎしゅく) ◆◆◆◆◆

 唐津街道(からつかいどう)は豊前小倉から肥前唐津までの街道で、長崎街道に対して内宿通り(ないしゅくどおり)と呼ばれていました。 その唐津街道の宿場町のひとつであった青柳宿(あおやぎしゅく)は博多から三里半(約13.6Km)の位置にあり博多から上る旅人が最初に休泊する宿場であったそうです。
この青柳宿は慶長10年(1605年)頃に川原村の住人によって上町が、青柳良仙寺の住人によって横町ができ、寛永2年(1625年)に青柳古屋敷の住人によって 下町・仲脇がつくられ本町ができあがり、承応(じょうおう)2年(1653年)には新町が加わり宿場としてほぼ整いました。

 宿場は長さ244軒(444m)あり、出入り口に構口(かまえぐち)が設けられ、現在、 西の構口の石積みが残っています。宿には藩主が宿泊・休憩する御茶屋(おちゃや) がありました。 また町茶屋(まちちゃや)は上と下に二軒あり、藩主の従者や 武士たちが利用しました。
宿の最盛期には103軒ほどありましたが、江戸時代を通じて84軒前後でした。 江戸時代に二回、明治初年に一回の大火に見舞われています。 唐津街道は黒田藩・唐津藩が参勤交代で通り、文政8年(1825年)からは、薩摩藩も通っています。
《上記の説明文は現地案内板を参考にしました》

唐津街道青柳宿(江戸時代後期町並想定図)

【言葉の意味】
・構口(かまえぐち)とは宿場の入口に設けられた番所で役人が常駐し通行人を監視していた所です。

 
 


 ◆ 、唐津街道・青柳宿が置かれていた古賀市青柳町地区 (右端に見えるのは旧青柳町宿構口跡の石碑)
長崎街道の脇街道であった 唐津街道・青柳宿が置かれていた青柳地区 (右端に見えるのは旧青柳町宿構口跡の石碑)


 ◆ 旧青柳町宿 西の構口(かまえぐち)跡の石碑
旧青柳町宿 西の構口(かまえぐち)跡の石碑

 今の青柳に宿場町であった往時を偲ぶものはあまり残っていませんが、江戸時代後期の街並み想定図を見ると、 西の構口の石積、託乗寺、観音堂(川原観音)と為息庵(いそくあん)などが残っています。
地図の御茶屋の場所には青柳醤油さんがあり、なかなか良い佇まいをしています。
この青柳醤油さんは創業90年で大正時代にできたそうです。その当時は今のJR古賀駅周辺より、ここの方が 勢いがあったので、ここで創業した。と聞いていると御主人が言っていました。
鉄道は明治22年(1889年)に出来ていますが、従来の集落を避けて海岸沿いの「古賀」(現・天神)に駅を作りました。 鉄道運賃は高く、庶民は大正時代までは旧唐津街道を歩いていたようです。それで大正時代までは今のJR古賀駅周辺より、ここの方が賑(にぎ)やかだったのだと思います。

 青柳宿を通る唐津街道は青柳醤油さんの所で大きく曲っていますが、これは敵の侵入を防ぐためにあえて道を真っすぐでなく曲げて造ったそうです。 これを鉤の手形(かぎのてがた)と言うらしいです。しかし、どうなんでしょうかね? この程度の曲り道では、たいした効果はないような気もしますが・・・・
それに現地の説明板では慶長10年(1605年)頃より自然発生的に町ができたようなので、計画的に道を曲げたのではなく、元々の道が曲がっていたと思った方がよさそうです。

※掲載写真は博多→小倉(上り)向きに撮っています。

 ◆ 昭和30年3月31日まで使用されていた青柳村役場跡
1955年(昭和30年)3月31日まで使用されていた青柳村役場跡
 ◆ アガパンサスの花が咲いていた
アガパンサスの花が咲いていた

 ◆ 道傍にある太宰府神社道碑
太宰府神社道碑(赤間宿方面から見て、ここから左折する道が太宰府に行く道だった)
 ◆ 道はこの先で左に曲がっている
道はこの先で左に曲がっている

 ◆ 道が曲がる場所にあるのが青柳醤油さん
道が曲がる場所にあるのが青柳醤油さん
 ◆ 青柳醤油さんはいろいろな種類の醤油を作っている
青柳醤油さんはいろいろな種類の醤油を作っている

 ◆ 浄土真宗西本願寺派到関山 託乗寺(たくじょうじ)
浄土真宗西本願寺派到関山託乗寺(たくじょうじ)
 ◆ 天理教元鎮西分教会というのもあった
天理教元鎮西分教会というのもあった。この辺りは「上の町茶屋」があった場所

 ◆ 観音堂(川原観音)と為息庵(いそくあん)
観音堂(川原観音)と為息庵(いそくあん)

 ◆ 手前が旧唐津街道の道
手前が旧唐津街道の道
 ◆ 観音堂の中の観音像
観音堂の中の観音像
 ◆ 為息庵(いそくあん)と石仏
為息庵(いそくあん)と石仏

 ◆ 粕屋四国の札所になっている
粕屋四国の札所になっている
 ◆ いくつかの庚申塔がある
いくつかの庚申塔(こうしんとう)がある
 ◆ 唐津街道 青柳宿の動画案内
唐津街道 青柳宿の動画案内




■■■■■ (青柳宿) → 博多方面の情報 ■■■■■ ============================================*


 
 

● 太閤水 ※場所はここ(中央付近)

  太閤秀吉が飲んだ水は「太閤水」と言われ、福岡県内にも数か所残っています。 新宮町三代に残る「太閤水」は天正15年(1587年)関白豊臣秀吉が、当時九州の大部分を征服していた島津義久に対抗し、 ただひとり立花の孤城を死守し続けた立花宗茂(立花道雪の養子)を助けて、3月、自ら軍を進め、遂に島津氏を降し、九州を平定しました。
その帰途、6月24日、ここで馬を休め、自ら清い水を汲んで飲んだところです。

 往路この地で水を求めたとき、良い水がなかったので同行していた堺の茶人「津田宗及」が、この崖下に掘り当てた湧き水です。 秀吉はこのことを聞くと即座に「宗及水」と名付けましたが、寛永5年(1628年)京都、大徳寺の僧「江月宗玩」(宗及の子)が 立ち寄った際、「飯銅水」と改めさせ、後の人が石畳の井戸を造り、太閤秀吉にちなんで「太閤水」と呼ぶようになりました。
(新宮町教育委員会)

●夜泣き観音 ※場所はここ(中央付近)

 夜泣き観音は戦国時代の立花城落城に伴う哀話です。1568年、城主鑑載の妻と子供が城を脱出し、橋の下にかくれました。
しかし、子供が泣き止まず、もはやこれまでとあきらめ、観音経を唱えたら子供は、泣き止み無事脱出できたという話です。 また、逆の結果となった悲話としても伝わっていますが、予を思う母の気持ちを表した観音様として、まつられ子供の夜泣きを治してくれるのでこのように呼ばれています。
夜泣き観音は、平成一年に、建てられてたお堂です。この観音像は、篠栗町南蔵院名誉住職林覚雅氏奇贈の、約 六十センチの木彫りの像です。 ニワトリの絵を反対にして赤ちゃんの夜泣きを治すために、神棚にかざっていたともつたえられています。
(現地の案内板より一部転載)

 
 


 ◆ 新宮町三代に残る「太閤水」
新宮町三代に残る「太閤水」
 ◆ 新宮町原上にある「夜泣き観音」
新宮町原上にある「夜泣き観音」


■■■■■ 畦町(あぜまち)方面の情報 ← (青柳宿) ■■■■■ =================================*


 
 

● 浄土宗鎮西派安楽山 浄土院 ※場所はここ(中央付近)

 古賀市新原にある浄土院(じょうどいん)の本尊は阿弥陀如来で 室町時代の僧、念誉行明(ねんよ ぎょうめい)または長沼行明(ながぬま ぎょうめい) により永禄年間(西暦1558〜1569年)に開基された寺で寺号を往生寺といいます。
この近辺の旧唐津街道はどこを通っていたのかの情報を私が持っていなくて、よく分かりませんが浄土院の前の道ではないようなので旧唐津街道から少し離れているようです(たぶん?)
周辺をうろうろすると、寺に向かって右には長屋門が残る農家があったり、少し手前の左には白壁に囲まれた時代を感じる家があったり、周辺は落ち着いた佇(たたず)まいの集落です。

●曹洞宗東光山 医王寺(いおうじ) ※場所はここ(中央付近)

 古賀市筵内にある曹洞宗東光山 医王寺(いおうじ)は養老2年(718年)行基菩薩の創立で御本尊は行基の作と伝えられている薬師如来です。
御本尊の薬師如来は17年に一度御開帳されます。ちなみに次回の御開帳は平成25年10月です。 10月のいつの日かは、まだ決まっていないそうです。1年前には決まるそうなので、詳しい日にちはお寺にご確認ください。
 ・医王寺(いおうじ)…TEL 092-942-3910
また、参道添いに桜の老木(樹齢約100年)があり桜の名所にもなっています。

  医王寺詳細に行く

 
 


 ◆ 浄土宗鎮西派安楽山浄土院
浄土宗鎮西派安楽山浄土院
 ◆ 曹洞宗東光山 医王寺(いおうじ)
曹洞宗東光山 医王寺(いおうじ)

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 ◆ 旧唐津街道・青柳宿は博多から三里半(約13.6Km)、旅人が最初に休泊する宿場であった
旧唐津街道・青柳宿は博多から三里半(約13.6Km)、旅人が最初に休泊する宿場であった






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  *インフォメーション
  ■古賀市商工振興課   092-943-7131
 *アクセス
  ■古賀駅東口からバスで15分(青柳 経由 こもの行き)青柳四角下車
  ■九州自動車道古賀ICから車で約5分

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企画・制作 (株)システム工房 ・ 最終更新日 2010年 6月28日
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