福岡県内徹底探検隊
福岡県内の名所旧跡の紹介
福岡県内の見所、ドライブコース、デートスポットの紹介
織幡神社 (織幡宮)

九州の宿 約1500宿(ホテル、旅館、ペンションなど)の紹介

福岡県宗像市鐘崎字岬224
< 宗像探検メニュー > < 探検隊メニュー > < 九州観光案内メニュー > < メインメニュー >
九州内のホテルや旅館、ペンション、民宿、ビジネスホテル、国民宿舎など宿泊施設のご紹介
line



 
 

◆◆◆◆◆ 織幡神社(織幡宮) ◆◆◆◆◆

 福岡県宗像市鐘崎の小さな半島の山(佐屋形山)の中腹に織幡神社(織幡宮)はあります。一見漁村にある普通の神社ですが、 西暦927年に編さんされた延喜式神名帳には全国の神社が2861社記載されていますが、そこにちゃ〜んと記載されている神社なのです。
これに記載されているということは西暦927年当時に相当大きな神社であったということです。

 この近辺で記載されているのは宗像大社(沖津宮・中津宮・辺津宮)、この織幡神社、志賀島にある志賀海神社、 福岡市内にある筥崎宮住吉神社 だけです。近くの宮地嶽神社高倉神社も記載されていないのです。この延喜式神名帳に記載されている神社を「式内社」といい、 1000年以上の歴史がある由緒ある神社ということで神社の中でも一目置かれる存在なのです。
ちなみに、祭神は、神功皇后の三韓出兵に従った大臣である武人・武内宿禰と航海神・住吉大神、志賀大神です。

 地元では「シキハン様」と称して尊崇(そんすう)されている織幡神社(おりはたじんじゃ)の名の由来については『宗像大菩薩縁起』に 「武内大臣が神功皇后の新羅出兵の時に赤白二流の旗を織り、宗像大神の御手長(おてなが:竹竿)につけてその名がついた。」 そのように書いてあるそうだ。

 一方、『応神紀』や、『肥前風土記』には、呉の国(今の中国)から高度な染色、機織り、裁縫の技術を広めに来たという4人の女性の物語や宗像の珂是古(かぜこ)にまつわる織物伝承などが伝えられており、 これらも織物と関係があるようで、織幡神社とも何らかの関係があるだろうと推測されています。
なお、隣の福津市奴山(ぬやま)地区にある縫殿神社(ぬいどのじんじゃ)は日本最初の裁縫の神様で裁縫の技術を広めに呉の国(今の中国)から来た女性を祀っています。 織幡神社も縫殿神社(ぬいどのじんじゃ)も昔から宗像大社と関係のある神社で、この2社は織物つながりで兄弟のような神社だと思うのです。

 織幡神社の御祭神である武内大臣(たけしうちのおおおみ)は神功皇后を助け三韓出兵を行った武人です。大臣は征伐後、鐘崎に上陸され、歴代天皇にお仕えし寿命が尽きる時、鐘崎に戻ってこられ昇天(鎮座)されたそうです。
その時に、両沓(くつ:履物)を残して、天に昇られたと伝えられ、その沓(くつ)をお祀りする塚が境内にある沓(くつ)塚です。
なお、武内大臣(武内宿禰)は300歳まで生きたと云われており香椎宮の近くに武内大臣(武内宿禰)が住んでいたという武内宿禰屋敷跡と、不老水という湧き水があります。

 鐘崎の半島は昔から「金(かね)の御崎(岬)」と言って有名だったようで万葉集にも歌があります。
ちはやふる
 金(かね)の岬(みさき)を
   過ぎぬともわれは忘れじ
    志賀乃(しかの)すめ神

だから当然、この歌の歌碑が、ここの境内にあるべきだが・・・・・無い!  違う歌碑はあったが学がなくて読めなかった。 ・・・ORZ

 **** 梵鐘伝説(沈鐘伝説 )****
 万葉集に「金の御崎」と歌われる鐘崎。その海中には古くから梵鐘(ぼんしょう)が沈んでいるという伝説があります。
それは今から約1400年前に、朝鮮半島から貢物(みつぎもの)として大きな鐘が我が国に運ばれてきましたが、岬の突端で大波によって沈んだことから、この岬を鐘の御崎(岬)と名付けたそうです。そして鐘は海に沈み龍神(りゅうじん)に守られて、風が強く波が騒ぐ日は澄んだよい音を響かせました。それで鐘崎の東の海を響灘(ひびきなだ)というようになったそうです。
この沈んだ鐘を引き上げようと過去3回試みましたが、いずれも失敗しています。75代宗像大宮司、黒田長政、大正9年には田川の山本菊次郎さんが引き上げ試みました。巨額の費用をつぎ込み山本菊次郎さんが鐘と思ってひきあげた大岩が織幡神社の入口に置いてあります。

●現地の案内板



織幡宮
一、祭神 武内宿弥
      住吉大神
      志賀大神
二、縁起
 平安初期、朝廷の年中儀や制度などの事を書いた。“延喜式”の中に、日本中の神社が記してあります。織幡宮は、筑前十九社の第二番目に記され、宗像郡内でも、宗像大社に次ぐ神社として記録されています。
その昔、文字を持たない時代から、古代の人々は、山の神、海の神、岬にも神霊を感じて航海安全を「ちはやぶる神の岬」として祈った時代もあったと思われますし、織幡宮は武人、武内宿弥を鎮護国家の備えとして、交通要衝  鐘崎に祀ったといわれています。
 古文書に、元禄八年(一六九五)社殿造立。元禄十六年(一七〇三年)拝殿成就と記され、古い歴史がしのばれます。
  平成八年四月一日



※ 掲載した内容は 2014年11月07日時点の内容です。変更になるおそれがあります。自己責任で御利用ください。

動画案内(詳細版 約10分)

 
 


 ◆ 織幡神社(おりはたじんじゃ)は福岡県宗像市鐘崎の鐘ノ岬にある神社(式内社) ※ ビッグ写真はここ
織幡神社(おりはたじんじゃ)は福岡県宗像市鐘崎の鐘ノ岬にある神社(式内社)


 ◆ 鐘崎の波止から見る、織幡神社のある「佐屋形山」
鐘崎の波止から見る、織幡神社(おりはたじんじゃ)のある「佐屋形山(さやがたやま)」

 織幡神社(おりはたじんじゃ)の一の鳥居を入った所に「筑前鐘崎海女の像」があります。ここ鐘崎は西日本の海女(あま)発祥の地なのです。ここの海女の出稼ぎ地であった能登、長門、壱岐、対馬には枝村(分村)ができたそうです。

 古くは西暦238年頃の倭国の事を書いた『魏志倭人伝』に「海中へと潜り好んで魚や鮑を捕る」とあるので、男か女か分かりませんが素潜りは昔から行っていた漁法だったようです。

 韓国のチェジュ島(済州島)にも海女がいて、例によって海女の起源はチェジュ島(済州島)と叫び、「海女文化」を日本より先に世界文化遺産に登録すると必死で運動しているようだから日本も負けずに早く登録してほしいものだ。 日本は、こういうことは、もたもたしてトロイから心配だ。

 ◆ 織幡神社の一ノ鳥居(一番外の鳥居)
織幡神社(おりはたじんじゃ)の一ノ鳥居(一番外の鳥居)
 ◆ 左の松が「松くい虫」で枯れそうだ
左の松が「松くい虫」で枯れそうだ

 ◆ 一ノ鳥居のそばに手水鉢がある
一ノ鳥居のそばに手水鉢がある
 ◆ 織幡神社専用駐車場も鳥居のそばにある
織幡神社専用駐車場も鳥居のそばにある

 ◆ 「佐屋形山」の中腹にある織幡神社の社殿まで参道が一直線に続く
「佐屋形山」の中腹にある織幡神社の社殿まで参道が一直線に続く

 ◆ 巨額の費用をつぎ込み大正9年には田川の山本菊次郎さんが鐘と思って引き揚げた大石
巨額の費用をつぎ込み大正9年には田川の山本菊次郎さんが鐘と思って引き揚げた大石

 ◆ 筑前鐘崎海女の像
筑前鐘崎海女の像
 ◆ 歌碑があるが何の歌碑だろうか?
歌碑があるが何の歌碑だろうか?

 ◆ 二ノ鳥居
二ノ鳥居

 ◆ 二の鳥居の所にある参拝所(遥拝所)
二の鳥居の所にある参拝所(遥拝所)
 ◆ 参道の途中にある「今宮社」
参道の途中にある「今宮社」
 ◆ 「今宮社」の本殿
「今宮社」の本殿

 ◆ 参道の途中にある社務所
参道の途中にある社務所
 ◆ 社務所の横に展望台らしきものがある
社務所の横に展望台らしきものがある

 ◆ 展望はそれほど良くはない
展望はそれほど良くはない
 ◆ 参道そばにある社名が分からない境内社
参道そばにある社名が分からない境内社

 ◆ 新しい一対の狛犬がある
新しい一対の狛犬がある
 ◆ 祭神(武内宿弥)手植えの銀杏の子孫
祭神(武内宿弥)手植えの銀杏の子孫
 ◆ 鐘崎の港が見える ※ ビッグ写真はここ
鐘崎の港が見える ※ ビッグ写真はここ

 ◆ 織幡神社(おりはたじんじゃ)の社殿
織幡神社(おりはたじんじゃ)の社殿

 ◆ 左の狛犬(風化して頭がない)
左の狛犬(風化して頭がない)
 ◆ 右の狛犬
右の狛犬

 ◆ 拝殿の中
拝殿の中

 ◆ 本殿
本殿

 ◆ 境内社(右は須賀神社、左は不明)
境内社(右は須賀神社、左は不明)
 ◆ 石塔や石灯籠などの残骸がある
石塔や石灯籠などの残骸がある

 ◆ 本殿右の境内社(左:海原神社、右:恵比寿神社)
本殿の右にも境内社がある(左:海原神社、右:恵比寿神社)
 ◆ 絵馬堂がある
絵馬堂がある

 ◆ 絵馬堂の中には古い絵馬が無造作に置いてある
絵馬堂の中には古い絵馬が無造作に置いてある

 ◆ 元治二年(1865)に奉納された絵馬。絵は消えているが、龍の頭の船が多数見えるから神功皇后の三韓征伐かな?
元治二年(1865)に奉納された絵馬。絵は消えているが、龍の頭の船が多数見えるから神功皇后の三韓征伐かな?

 ◆ 弘化三年(1846)の絵馬。こちらも絵が消えているが、たくさんの武士が並んでいるようだ。黒田二十四騎かな?
こちらは弘化三年(1846)の絵馬。こちらも絵が消えているが、たくさんの武士が並んでいるようだ。黒田二十四騎かな?

 ◆ 境内には小賀玉(おがたま)の木などの貴重な木がある
境内には小賀玉(おがたま)の木などの貴重な木がある

 ◆ 一段低い所にある沓塚 (武内宿祢が昇天されたという場所)
一段低い所にある沓塚 (武内宿祢が昇天されたという場所)

 ◆ 境内の隅から見える鐘崎北部の海岸(深浜)
境内の隅から見える鐘崎北部の海岸(深浜)




■■■ 恵比須神社 ■■■

 ◆ 織幡神社(おりはたじんじゃ)の隣にある恵比須神社
織幡神社(おりはたじんじゃ)の隣にある恵比須神社

 ◆ 恵比須は古くから漁業の神であったようだ
恵比須は古くから漁業の神であったようだ

 ◆ 賽銭箱の上の棍棒で横木を叩く(神社の鈴の代わり)
賽銭箱の上の棍棒で横木を叩くようだ(神社の鈴の代わりかな?)
 ◆ えびす様が彫ってあるようだ
えびす様が彫ってあるようだ
 ◆ えびす様の絵
えびす様の絵

 ◆ 外に祠(ほこら)が2基ある
外に祠(ほこら)が2基ある
 ◆ 何の祠(ほこら)だろうか?
何の祠(ほこら)だろうか?
 ◆ 賽銭受けは貝殻になっている
賽銭受けは貝殻になっている



 ◆ 鐘崎は県内でも有数の漁業の町
鐘崎は県内でも有数の漁業の町
◆ 県で一番漁船が多く漁獲高も一番
福岡県で一番漁船が多く、漁獲高も一番
 ◆ 動画案内(詳細版 約10分)
織幡神社の動画案内


[ 宗像市の魅力が満載♪ ふるさと納税 福岡県宗像市 特産品 返礼品 ]





《宗像地域周辺》
…花の名所

この周辺の宿を探す


波津ゆうれい坂海蔵寺成田山不動寺高倉神社鐘崎 ・織幡神社地ノ島さつき松原承福寺・宗像氏貞の墓 今門のサルスベリ(百日紅) 浄光寺のフジ道の駅むなかた依岳神社の大イチョウ孔大寺の大イチョウ山田増福院神湊筑前大島中津宮七夕まつり 宗像大社みあれ祭前夜祭花火大会宗像大社みあれ祭海の道むなかた館 鎮国寺鎮国寺紫灯大護摩供赤間宿跡赤間宿まつり八所宮八所宮秋季例大祭正助ふるさと村グローバルアリーナザビエル教会の旧聖堂原町唐津街道(★九州大道芸まつりin宗像)光岡八幡宮宗像ユリックス日の里団地JR風景(日の里近く)田熊山笠むなかたみんなの山笠宗生寺と馬頭観音許斐山太閤水と殿ん屋敷八並不動尊大祭八並の庚申堂畦町 ほたるの里内殿の日吉神社舎利蔵自然林上西郷弾薬庫跡なまず神社となまずの郷神興神社久末総合公園縫殿神社新原・奴山古墳群津屋崎古墳群今川遺跡 あんずの里静御前の墓白石浜・勝浦浜恋の浦 大峰山自然公園(東郷神社)楯崎神社と親子灯台福津のくぐり岩津屋崎津屋崎祇園山笠金刀比羅神社の御神幸祭豊山神社御神幸祭西鉄宮地岳線福間海岸福間浦玉せり福津市花火大会サンピア福岡諏訪神社JR福間駅 宮地嶽神社 宮地嶽神社(民家村)宮地嶽神社秋季大祭大注連祭長谷寺手光波切不動古墳小竹石穴古墳旦ノ原井戸・飯盛山上大森古墳清瀧清滝水路 興山園医王寺唐津街道青柳宿五所八幡宮人丸神社千年家独鈷寺六所神社梅岳寺薬王寺温泉 脇田温泉竹原古墳

北九州市周辺 筑豊周辺 福岡市周辺











 | 北九州市 | 福岡市 | 嬉野・武雄 | 長崎 | 平戸・佐世保 | 雲仙・小浜 | 玉名・菊池 | 阿蘇 | 黒川・湯布院 | 別府 | 高千穂 | 宮崎・日南 | えびの霧島 | 指宿温泉 |

周辺の宿(温泉宿ほか)

鐘崎周辺マップ(マピオン) 地図の中央 '+' あたりが鐘崎 織幡神社の位置です。
宗像市民俗資料館の公式サイト
宗像市の公式サイト
宗像観光協会(むなかた玄海天然印)のサイト
宗像市商工会のサイト
  *インフォメーション
  ■宗像市役所    0940-36-1121(代表)
  ■宗像市商工会   0940-36-2268
  ■玄海商工会    0940-62ー0070
  ■宗像市民俗資料館 0940-62ー3360
 [ 地図情報 ]

宗像探検メニューへ戻る
探検隊メニューへ戻る
九州観光案内メニューへ戻る
メインメニューへ戻る











企画・制作 (株)システム工房 ・ 最終更新日.20141130
株式会社システム工房 TEL 0940-51-3019
Google 九州の宿
Web yado.co.jp (よかとこBY)


画面番号:H040242-07810101
Counter