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◆◆◆◆◆ 畦町(あぜまち) ◆◆◆◆◆

 畦町(あぜまち)は江戸時代後半には筑前黒田藩が指定した27宿駅の一つでした。 これは寛永19年(1642年)黒田忠之(2代目)の時代に、唐津街道の赤間(宗像市)と青柳宿(古賀市)の間が遠すぎるので、その中ほどに、鳥巣村(とりのすむら)と 元木村(もとぎむら)の一部を強制移住させて新しくつくったのが畦町(あぜまち)です。

 当時の畦町には宿泊所は少なく、主として人馬の交代場所、人の休憩所の宿場として発展しました。
 寛政12年(1800年)ごろは、総戸数110戸、人数482人であったという記録が残っており、商家が多く生活用品は何でも手に入ると、遠く離れた所からも 買い物にやって来る人も多く、畦町はとてもにぎわっていました。

 しかし、明治時代になると参勤交代もなくなり、宿場町も廃止されました。明治23年(1890年)には下西郷側に鉄道(現在の鹿児島本線)が開通、 大正時代には国道も鉄道に沿って通るようになり、畦町(あぜまち)はかっての賑わいを徐々に失っていきました。

 今では旧唐津街道の畦町宿だった街道筋も古い家は建て替えられ昔の家並は少なくなっていますが、杉ぼて(杉玉)や卯建(うだつ)など、江戸時代のたたずまいが 残っている家もいくつかあります。

※ 掲載した内容は 2014年10月11日時点の内容です。変更になるおそれがあります。自己責任で御利用ください。

動画案内(約14分)

 
 


 ◆ 畦町宿(あぜまちしゅく)案内図 ※ ビッグ写真はここ
畦町宿(あぜまちしゅく)案内図


 ◆ 福岡市方面から旧唐津街道を来た場合、畦町の入口に形の良い榎(えのき)の木がある。これは馬の墓だそうだ
福岡市方面から旧唐津街道を来た場合、畦町の入口に形の良い榎(えのき)の木がある。これは馬の墓だそうだ

 ◆ 上がる道はあるがジャングルになっている
上がる道はあるがジャングルになっている

 この榎(えのき)の木が馬の墓(馬塚)という話しは、「文化福津第6号 2011」にギャラリー畦 主人 岩熊 寛 さんが記載している「畦町河原の合戦」に出てくる話です。
それは江戸時代が始まる少し前、1557年頃に起きた合戦の話で、その時に死んだ馬を埋葬した墓という事のようです。

 頂上に植えてある木は榎(えのき)の木です。榎(えのき)の木は江戸時代には一里塚として植えられたようです。ネットで調べると今宿一里塚というのがあり樹齢約150年だそうだ。 大きさも同じくらいなので、畦町の榎(えのき)の木も推定樹齢 約150年くらいだと思います。

ひょっとして、この榎(えのき)の木も一里塚として植えられたものかもしれません。盛り土の上の榎(えのき)の木は一里塚の形態そのものなのです。
そういう事でこの馬塚に関する事を少し調べてみました。

畦町・馬塚の謎?

 いすれにしても、この木は江戸時代の末期から今までの旧唐津街道の変遷(へんせん)をじっと眺めてきた木なのです。木が話せるならいろいろな話を聞いてみたいですね。

 ◆ 木の根元に祠(ほこら)がある
木の根元に祠(ほこら)がある
 ◆ 「松鶴」という酒は畦町の中村酒屋が作っていた酒
「松鶴」という酒は畦町の中村酒屋が作っていた酒だ

 ◆ 手前の県道503号線から入る正面の道が旧唐津街道
 (今日は祭りなので進入禁止)

手前の県道503号線から入る正面の道が旧唐津街道(今日は祭りなので進入禁止)
 ◆ この入口辺りには自転車やバイク屋さんがあったが
 今はない。この辺りの坂道を「下がり藤」と言う

この入口辺りには自転車やバイク屋さんがあったが今はない。この辺りの坂道を「下がり藤」と言う

 ◆ 名残のカンバンは残っている
名残のカンバンは残っている
 ◆ 柿が生けてある(ここの住人はなかなか風流人だ)
柿が生けてある(ここの住人はなかなか風流人だ)
 ◆ 西搆口の所に高台があり、上に観地山地蔵尊がある
西搆口の所に高台があり、上に観地山地蔵尊がある



■■■ 観地山地蔵尊 ■■■


 
 

◆◆◆◆◆ 観地山地蔵尊 ◆◆◆◆◆

 観地山地蔵尊についての謂れ(いわれ)は御堂の中に「観地山縁起」として掲げてあります。内容は下記の通りです。

● 観地山縁起
駿河の国木嶋長者とまでいわれた三河元直の一子 米一丸(よねいちまる)。15歳にして木嶋正直と名乗り元暦元年(1184) 若狭の長者の娘八千代姫を嫁に迎え結婚披露のため京都一条殿に参殿した。 好事魔多しととか。 垣間見た一条殿は姫に言い寄ったが数度の文にも貞操賢固の姫の心を動かすことかなわず姫はそのまま国もとに引き揚げた。 このことが故で禍が木嶋一家にふりかかることとなる。

文治元年(1185)秋。米一丸は一条殿より命を受け、 かつて一条殿が九州柳川在住の折、手にした三池典太作の銘刀一振りを博多の人に遣わしていたが、 その品を取り返すため然るべき代金を受領し博多に出向くことになった。
一条殿の命とて一家涙の内に別れ文治2年(1186)正月股肱の臣直好を頭として総勢44名の家臣と友に国本出発。 翌3年正月博多は竹勘九郎方の浜屋敷に旅宿をとり件(くだん)の刀の在処を詮議した。
土居町に奥某なる商人 心よからず、かねてより一条殿の内密の命を受け、博多奉行とはかり金受取次第 米一丸の命をとろうということで、 取引をのばし隙を見て米一丸を殺害しようとしたが、 主従共々力を併せ一分の隙もなかった。

その後、米一丸の博多逗留も200日を過ぎ、かの銘刀の譲り受けもすんだところ、敵は400人で浜の屋敷を攻め立てた。 主従力を併せ千代の松原に逃れ、奮戦したが利あらず 米一丸覚悟を決め七生この恨み晴らさでおくものか、さらばとて恨みを呑んで一文字に腹かき切って死す。 こうして郎党の衆45人も共に主人の後を追う。あとにひとり松風の音のみ悲しい調べを奏でていた。

米一丸の奥方八千代姫は、夫の身を気遣い博多に至ったがすでに夫が殺されたのを聞き、その地にて後を追って自刃してしまった。
母親も吾子の成り行きを案じながらはるばる九州路に下られたが本木郷下がり藤にて米一丸の悲運を聞き病に弊れ程なく死す。

後の人此の地に親子地蔵を祭ったのが即ち此の観地山地蔵と言い伝える。 即ち子供の危難病気に立願すれば後利益あり、世人の尊信あつく近郷近在はもとより博多より参りくる人多し。 星移り物換りて慈に八百有余年の昔物語となりにける。

御心体
 短刀一振り
  櫛こうがい 遺髪

参考資料
観地山由来 本木中村是人蔵 平成20年(2008)11月5日 記

 この話が本当とするなら、京都一条殿は相当な悪党ですね。で、京都一条殿とはどういう人なのか?
ネットで調べると「一条家(いちじょうけ)は、五摂家のひとつで公家である。桃華(とうか)家とも称される。」とあります。 一条家の祖である一条実経は西暦1223年 - 1284年の人であり、この事件が起きた文治元年(1185)より100年ばかり後の人ですね。
 この一条家の事をいうのであれば、一条家の祖である一条実経の祖父か曽祖父です。 一条実経の祖父は九条 良経(1169年 - 1206年)であり事件があった文治元年(1185)には満 16歳なので、少し若すぎる。その親である九条兼実(1149年 - 1207年)の可能性が高いですね。
九条兼実は九条家の祖と言われている人なのですが、それがどうして京都九条殿でなく京都一条殿と書いているのか?  ・・・・・・・
結局、はっきりした事は分からなかったのです。


 
 


 ◆ 高台には観地山地蔵尊がある
高台には観地山地蔵尊がある
 ◆ 悲劇の主人公米一丸の母親を祀る地蔵尊
悲劇の主人公米一丸の母親を祀る地蔵尊

 ◆ 中央には少し大きい石が祀られている
中央には少し大きい石が祀られている

 ◆ 廃仏毀釈の爪痕か? 首がない
廃仏毀釈の爪痕か? 首がない
 ◆ 四角と丸い石は何だろうか?
四角と丸い石は何だろうか?

 ◆ 外のお地蔵さんにも廃仏毀釈の爪痕が残る
外のお地蔵さんにも廃仏毀釈の爪痕が残る
 ◆ 境内にある庚申塔
境内にある庚申塔




 ◆ 米一丸が自刃した場所(福岡市東区箱崎6丁目)にある米一丸地蔵尊 ※場所はここ(中央 付近)
米一丸が自刃した場所(福岡市東区箱崎6丁目)にある米一丸地蔵尊 ※場所はここ(中央 付近)



■■■ 畦町宿西搆口 ■■■

 ◆ 畦町の西入口(西搆口)
畦町の西入口(西搆口)

 ◆ 今日(2014/10/11)は「畦町宿祭り」の日なので人が多い
今日(2014/10/11)は「畦町宿祭り」の日なので人が多い



■■■ 菖蒲山 護念寺(しょぶさん ごねんじ) ■■■

 ◆ 菖蒲山 護念寺(しょぶさん ごねんじ)という浄土真宗の寺がある
菖蒲山 護念寺(しょぶさん ごねんじ)という浄土真宗の寺がある

 ◆ 寺の境内に入ると右に観音堂がある
寺の境内に入ると右に観音堂がある
 ◆ 本尊(千手観世音菩薩)の頭は下に落ちている
本尊(千手観世音菩薩)の頭は下に落ちている
 ◆ 御堂は宗像四国西部霊場畦町八番になっている
御堂は宗像四国西部霊場畦町八番になっている

 ◆ 護念寺の本堂
護念寺の本堂

 ◆ 護念寺の本堂
護念寺の本堂

 ◆ 護念寺の本堂の中(本尊は阿弥陀如来)
護念寺の本堂の中(本尊は阿弥陀如来)



■■■ あぜのまち絵本美術館 ■■■

◆ 「あぜのまち絵本美術館」がある(2014年6月にできた)
「あぜのまち絵本美術館」がある(2014年6月にできた)
 ◆ 古着の販売もしているようだ
古着の販売もしているようだ



■■■ 駒井醤油屋跡 ■■■

 ◆ 江戸時代の建物で畦町で2番目に古い家(駒井醤油屋跡)
江戸時代の建物で畦町で2番目に古い家(駒井醤油屋跡)

 ◆ 駒井醤油屋跡
駒井醤油屋跡

 ◆ 折り畳み式の縁台である番子(バンコ)がある
折り畳み式の縁台である番子(バンコ)がある
 ◆ 番子(バンコ)は使う時には、こうなる
番子(バンコ)は使う時には、こうなる



■■■ 中村酒造 ■■■

 ◆ 江戸時代前期に建てられた畦町で一番古い家(中村酒造)
江戸時代前期に建てられた畦町で一番古い家(中村酒造)

 ◆ 造り酒屋さんらしく杉ぼて(杉玉)を下げた子屋根
造り酒屋さんらしく杉ぼて(杉玉)を下げた子屋根がある
 ◆ 火事の時の類焼を防ぐ卯建(うだつ)もある
火事の時の類焼を防ぐ卯建(うだつ)もある

 ◆ 中は落ち着いたたたずまい
中は落ち着いたたたずまい
 ◆ 昭和十一年十月までの賞状がある ※ ビッグ写真
昭和十一年十月二十一日までの賞状がある

 ◆ 曲がった木を利用した天井の梁がすごい
曲がった木を利用した天井の梁がすごい

 ◆ この写真の奥に蔵があったが今はない
この写真の奥に蔵があったが今はない

 ◆ 2009/03/07 撮影の写真では奥に蔵がある
2009/03/07 撮影の写真では奥に蔵がある

 ◆ 蔵があった場所は空き地になっている
蔵があった場所は空き地になっている
 ◆ 奥に六角井戸がある(昔から使っている井戸)
奥に六角井戸がある(昔から使っている井戸)



■■■ 小田牛乳所 ■■■

 ◆ 明治2年(1869)に建てられた建物で、宗像地方で最初に牛乳の生産販売をした小田牛乳所
明治2年(1869)に建てられた建物で、宗像地方で最初に牛乳の生産販売をした小田牛乳所

 ◆ この家の卯建(うだつ)はすごい!
この家の卯建(うだつ)はすごい!
 ◆ 漆喰で塗籠(ぬりごめ)た竪格子窓も時代を感じる
漆喰で塗籠(ぬりごめ)た竪格子窓(たてこうしまど)も時代を感じる



■■■ お大師様 ■■■

 ◆ 「お大師様」は旧唐津街道から路地を入った所にある
「お大師様」は旧唐津街道から路地を入った所にある
 ◆ 少し坂道を上がる
少し坂道を上がる

 ◆ お大師様の御堂
お大師様の御堂

 ◆ 御堂には素朴な仏像が祀ってある
御堂には素朴な仏像が祀ってある

 ◆ 弘法大師の像がある
弘法大師の像がある
 ◆ 境内
境内
 ◆ ハート型の手水鉢
ハート型の手水鉢

 ◆ 境内から見る景色は良い
境内から見る景色は良い



■■■ 津日駅跡(つひのえきあと) ■■■


 
 

◆◆◆◆◆ 津日駅(つひのえき) ◆◆◆◆◆

 7世紀には国衙(こくが)が諸国に置かれ、都から国司が地方に下ってきました。また地方から都に米や各地の産物を運んだりと都を中心に行き来が活発になりました。
主な道には30里(現在の約16Km)ごとに駅家(えきや)が置かれ、その道を駅路(えきろ)と言います。

 この地方の駅家(えきや)は遠賀に島門駅(そまどのえき)、宗像地方に津日駅(つひのえき)、古賀に蓆打駅(むしろうちのえき)があったことが分かっています。
では、津日駅(つひのえき)は具体的にどこにあったのか? これがはっきりしていません。
畦町から奈良時代の瓦が出てきたことや、近くに一字違いの津丸という地名もあることから津日駅(つひのえき)は畦町にあったのではないかと言われているのです。

 奈良時代の瓦が出てきたのは「お大師様」の入口付近なので、この近辺が昔の津日駅(つひのえき)跡ではないのだろうかと推測されているのです。
その時代の礎石は一般車の駐車場の一角にある高村直嗣翁頌徳碑 (しょうとくひ)のそばに置かれています。

 九州の宿と街道(海鳥社)の9ページに各駅に常駐していた馬の数が書いてあります。これを見ると津日駅(つひのえき)は22疋(ひき)となていますから相当大きな駅だったことが分かります。 また、今の田川、飯塚を通っていた田河道より宗像を通っていた西海道太宰府道が馬の数も多いので重要な幹線道路だったことも分かります。



 一方、「万葉集」巻六に天平2年(730年)11月、大伴旅人の妹の大伴坂上朗女(おおとものさかのうえのいらつめ)が太宰府からの帰京に際して福津市奴山(ぬやま)から宗像市田島に行く途中の大坂越(おおさかごえ)で詠んだ歌が残っています。
 これらから当時の駅路は名児山(なごやま)を通っており経路は岡垣町波津から鐘崎、神湊 名児山(なごやま)越え、津屋崎に至る海岸沿いだったという説もあります。
また、「筑前国続風土記」によれば近世初期に上八村の西を「津日の浦」と称していたというので、現在の宗像市上八(こうじょう)に津日駅(つひのえき)はあったとする説もあるのです。

● 大伴坂上朗女(おおとものさかのうえのいらつめ)が詠んだ歌
少彦名(すくなびこな)の 神こそは 名づけ始(そ)めけめ 名のみを 名児山と負ひて わが恋の千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰めなくに

恋に悩む心の苦しさを名児山に訴えかけた歌で、天平2年(730年)に奈良の都に帰る時に奴山(ぬやま)から田島に行く途中の大坂越(おおさかごえ)で詠んだ歌です。



 上記2つの説をを見ると、遠賀に島門駅(そまどのえき)〜宗像地区??〜古賀に蓆打駅(むしろうちのえき)で津日駅(つひのえき)を畦町とするなら古賀の蓆打駅(むしろうちのえき)からの距離が近過ぎて、 駅と駅の間は30里(現在の約16Km)の原則に当てはまらない。これらを考えると津日駅(つひのえき)は今の宗像市上八(こうじょう)説に軍配が上がるようだ。
もし、そうなら駅路も岡垣町波津から鐘崎、神湊 名児山(なごやま)越え、津屋崎に至る海岸沿いだったという事になる。

 
 


 ◆ お大師様の入口付近は昔の津日駅(つひのえき)跡だと推測されている
お大師様の入口付近は昔の津日駅(つひのえき)跡だと推測されている



■■■ 紺屋跡(今は「ぎゃらりー畦」) ■■■

 ◆ 紺屋跡。今は「ぎゃらりー畦」になっている
紺屋跡。今は「ぎゃらりー畦」になっている

 ◆ 「ぎゃらりー畦」の中
「ぎゃらりー畦」の中
 ◆ これらの版画も作られたそうだ
これらの版画も作られたそうだ



■■■ 祇園社(須賀神社)・ 世界一小さな蚕博物館 ■■■

 ◆ 祇園社は須賀神社の事で、通称「お祇園様」と呼ばれている ※詳細はここ
祇園社は須賀神社の事で、通称「お祇園様」と呼ばれている

 ◆ 祇園社(須賀神社)の入口にある「世界一小さな蚕博物館」
祇園社(須賀神社)の入口にある「世界一小さな蚕博物館」





■■■ 高村直嗣翁頌徳碑 (しょうとくひ) ■■■

 ◆ 公民館の横の道を北東に行くと一般車の駐車場があり一角に高村直嗣翁頌徳碑 (しょうとくひ)がある
公民館の横の道を北東に行くと一般車の駐車場があり一角に高村直嗣翁頌徳碑 (しょうとくひ)がある

 ◆ 高村直嗣翁頌徳碑 (しょうとくひ)
高村直嗣翁頌徳碑 (しょうとくひ)

 ◆ 津日駅(つひのえき)時代の礎石
津日駅(つひのえき)時代の礎石
 ◆ 高村直嗣 氏について ※ ビッグ写真はここ
高村直嗣 氏について



■■■ 貴船神社 ■■■

 ◆ 高村直嗣翁頌徳碑の後ろに貴船神社の鳥居がある
高村直嗣翁頌徳碑の後ろに貴船神社の鳥居がある
 ◆ 貴船神社の鳥居
貴船神社の鳥居

 ◆ 貴船神社の社殿(水や風、牛の神である
 闇淤加美神(クラオカミノカミ)を祀っている)

貴船神社の社殿(水や風、牛の神である闇淤加美神(クラオカミノカミ)を祀っている)

 ◆ 貴船神社の本殿の祠(中には石が祀ってある)

貴船神社の本殿の祠(中には石が祀ってある)



■■■ 祟り(たたり)の大石 ■■■

 ◆ 貴船神社の鳥居の近くにある「祟り(たたり)の大石」
貴船神社の鳥居の近くにある「祟り(たたり)の大石」

 ◆ この大石の上に物を置くと体が悪くなると言われている
この大石の上に物を置くと体が悪くなると言われている

 ◆ 割ろうとしたのだろうか? 鳶(とび)矢の跡が残っている
割ろうとしたのだろうか? 鳶(とび)矢の跡が残っている。石に割り石のための穴を穿孔し、トビヤ(小割り用のクサビ矢)と呼ぶクサビを打ち込み石を小割する。



■■■ 八幡宮(神興宮) ■■■

 ◆ 貴船神社からさらに北東に行くと八幡宮(神興宮)がある
貴船神社からさらに北東に行くと八幡宮(神興宮)がある

 ◆ 八幡宮は宗像三女神が移られたので神興宮と言われており畦町の氏神様
八幡宮は宗像三女神が移られたので神興宮と言われており畦町の氏神様

 ◆ 八幡宮(神興宮)の拝殿
八幡宮(神興宮)の拝殿

 ◆ 八幡宮(神興宮)の本殿の細工は精巧にできている
八幡宮(神興宮)の本殿の細工は精巧にできている



■■■ 宿庄屋跡(高村医院跡) ■■■

 ◆ 宿庄屋跡(高村医院跡) 今は整地されてそれらしい痕跡はない
宿庄屋跡(高村医院跡) 今は整地されてそれらしい痕跡はない

 ◆ 今は駐車場に建てられている高村直嗣翁頌徳碑 (しょうとくひ)は数年前まで、ここにあった ※ 2010/07/07 撮影
今は駐車場に建てられている高村直嗣翁頌徳碑 (しょうとくひ)は数年前まで、ここにあった



■■■ 郡屋跡 ■■■

 ◆ ほとんど崩れている家は郡屋跡(郡内の村役人の集会所)
ほとんど崩れている家は郡屋跡(郡内の村役人の集会所)

 ◆ ここにあった2軒の藁葺(わらぶき)の家は畦町宿の顔だったのに、こんな姿になってしまった
ここにあった2軒の藁葺(わらぶき)の家は畦町宿の顔だったのに、こんな姿になってしまった

 ◆ ここには2010年頃まで2軒の藁葺(わらぶき)家屋があった (2007/02/06 撮影)
ここには2010年頃まで2軒の藁葺(わらぶき)家屋があった (2007/02/06 撮影)



■■■ 天満宮 ■■■


 ◆ 天満宮の入口にはソテツがある

天満宮の入口にはソテツがある
 ◆ 参道の途中に見晴らしの良い場所があり
  「展望台」になっている

参道の途中に見晴らしの良い場所があり「展望台」になっている

 ◆ 「展望台」から見る畦町(あぜまち)
「展望台」から見る畦町(あぜまち)

 ◆ 天満宮の社殿
天満宮の社殿

 ◆ 本殿は小さな祠
本殿は小さな祠
 ◆ 祠は二つある
祠は二つある



■■■ 畦町宿東搆口 ■■■

 ◆ 東搆口から赤間宿に通じる旧唐津街道を見る
東搆口から赤間宿に通じる旧唐津街道を見る

 ◆ 東搆口の山際にある庚申塔
東搆口の山際にある庚申塔
 ◆ 庚申塔がいつできたのか風化して分からなかった
庚申塔がいつできたのか風化して分からなかった

 ◆ この道を先に約7キロ行くと赤間宿に到着する(徒歩で約2時間)
この道を先に約7キロ行くと赤間宿に到着する(徒歩で約2時間)



■■■ 「宗像宮道」の道標 ■■■


 
 

◆◆◆◆◆ 「宗像宮道」の道標 ◆◆◆◆◆

 畦町のはずれから赤馬へぬける旧唐津街道を200mほど行くと県道530号と交差する十字路に「宗像宮道」と石に肉太の文字が刻まれた道しるべがあります。
これは宗像大社にお参りする人達のために安政3年(1856年)に畦町宿(あぜまちしゅく)の人達が建てたものです。
幕末に、この旧唐津街道を確実に通った高杉晋作、通った可能性が高い西郷隆盛や坂本龍馬など多くの人達が、眺めたであろう「道しるべ」なのです。

 
 


 ◆ 畦町の東、旧唐津街道と県道530号とが交差するところに建つ「宗像宮道」の道標 (正面の細道が旧唐津街道)
畦町の東、旧唐津街道と県道530号(畦町―村山田線)とが交差するところに建つ「宗像宮道」の道標 (正面の細道が旧唐津街道)

 ◆ 宗像大社に参拝するための道しるべ
宗像大社に参拝するための道しるべ
 ◆ 安政3(1856)年に畦町宿の人々によって建てられた
安政3(1856)年に畦町宿の人々によって建てられた
◆ この凹みに貝殻をおき菜種油を入れて灯明にしていた
この凹みに貝殻をおき菜種油を入れて灯明にしていた




 ◆ 2014/10/11 畦町宿祭り
2014/10/11 畦町宿祭り
 ◆ 畦町には今風の家も多い
畦町には今風の家も多い
 ◆ 動画案内(詳細版 約14分)
畦町の動画案内





 ◆ 畦町で毎年7月14日に行われる「畦町祇園山笠」は須賀神社(通称お祇園様)の祭典 ※ 詳細はここ
畦町で毎年7月14日に行われる「畦町祇園山笠」は須賀神社(通称お祇園様)の祭典

 ◆ 毎年10月の初旬に行われる「畦町宿祭り」は畦町(あぜまち)が年間で一番賑わう日 ※ 詳細はここ
毎年10月の初旬に行われる「畦町宿祭り」は畦町(あぜまち)が年間で一番賑わう日


■■■■■ 畦町宿 関連のページ ■■■■■ 

・ 畦町宿
畦町・馬塚の謎
畦町祇園山笠

畦町宿祭り















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宗像市の公式ホームページ
福津市の公式ホームページ
福津市商工会のホームページ
福津市まちづくり協議会のホームページ
  *インフォメーション
  ■畦町宿保存会事務局   080-9244-5128
  ■宗像市役所       0940-36-1121(代表)
  ■福津市役所       0940-42-1111(代表)
  ■福津市津屋崎庁舎    0940-52-1234(代表)
  ■福間町商工会      0940-42-0315
  ■福津市まちづくり協議会 0940-52-4969
  *アクセス
  ■JR東福間より約3.5Km(徒歩)約50分。
  ■JRバス・ふくつミニバス「畦町」から徒歩約10分
  ■JR東福間よりタクシーで約10分
 [ 地図情報 ]

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