◆ 不動明王の文字 海軍造兵大佐 今井博歳 謹書とある
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手光波切不動古墳の入口に、ごろんと無造作に石の額が置いてある。昭和七年に奉納された(奉納者は良く判別できないが小柳久太朗 氏かな?)ご詠歌が刻んであります。その内容は
「四国四十五番 いわや山」 とあり 「大せうの祈る力のげにいわや、いしの中にも極楽ぞある」
この手光波切不動古墳は「いわや山」と云われていたようですね? ちなみに宗像四国霊場は明治35年(1902年)に再編成が行われ、今は宗像新四国東部霊場と宗像新四国西部霊場に分かれています。
この手光波切不動古墳で、そういう霊場の看板をみなかったので、今は霊場ではないようです。
(福間町)ふるさと文化財探訪記(平成3年 福間町教育委員会出版) を見ると「落石設備工業の敷地内にも一基の古墳がある・・・」と書いてあるので、落石設備工業に行ってみました。
おばあさんが出てこられて、「うちの方は古墳の裏で石が少し見えるだけ、表は隣だからそちらに行きなさい。」と言われた。
まあ、せっかく来たので写真を撮ったが、古墳の石と思われる石が数個、露出している程度だった。
それで隣にお邪魔して撮った写真が下の方にある写真です。ほとんど古墳は崩れていました。1000年以上の歳月が過ぎているので無理もないですね。
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