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◆◆◆◆◆ 畦町の馬塚 ◆◆◆◆◆

 福岡市方面から旧唐津街道を来た場合、畦町の入口に形の良い榎(えのき)の木がある。これは馬の墓ということになっています。
 この榎(えのき)の木が馬の墓(馬塚)という話しは、「文化福津第6号 2011」にギャラリー畦 主人 岩熊 寛 さんが記載している「畦町河原の合戦」に出てくる話です。

 それは江戸時代が始まる少し前、1557年頃の話です。豊後から勢力を伸ばしてきた大友宗麟方の多賀美作守隆忠と、許斐山(このみやま)城を守っていた宗像方の占部尚持が 弘治3年(1557年)に現在の西郷川 河原橋付近で激しい合戦をしたという話です。河原橋はこの馬塚から約800m程度西郷川を下った所の西郷川花園の近くにある橋です。
岩熊 寛 さんは現在の貴船神社辺りから下流が激戦地だったのでは? と書いておられます。また「福間町史明治編 (p84)」では現西郷川河原橋付近が合戦場址と書いてあります。
その時に多くの人が亡くなり馬も死んだそうで、その馬を埋葬したのが、この馬塚だというのが岩熊 寛 さんの説のようです。ただ、どういう理由でこの塚を馬の墓と判断したのかは書いてないようです。
岩熊 寛 さんは畦町の歴史をいろいろ熱心に調べておられる方です。

 畦町の馬塚を少し現地調査してみました。馬塚の入口に階段はありますが、階段から先は草が茂りジャングル状態です。マムシがいないかドキドキしながら草をかき分けて木の根元まで登りました。
根元にはコンクリートと瓦で作った祠(ほこら)がありました。何の祠(ほこら)か分かりませんが祠の中に陶器でできたキツネがありましたから「お稲荷様」でしょうかね?
祠(ほこら)の外には一升徳利(とっくり)が置いてありました。徳利(とっくり)には「松鶴」と書いてあるので、畦町にあった造り酒屋の中村酒屋が作っていた酒ですね。
いつ頃の物でしょうか? ビンでなくて一升徳利(とっくり)ですから戦争前のような気がします。

 頂上に植えてある木は葉の形状から榎(えのき)の木です。榎(えのき)の木は江戸時代には一里塚として植えられたようです。ネットで調べると今宿一里塚というのがあり樹齢約150年だそうだ。 大きさも同じくらいなので、畦町の榎(えのき)の木も推定樹齢 約150年くらいだと思います。
私の考えでは、この榎(えのき)の木のある塚は馬塚でなくて一里塚ではないのかと思うのです。盛り土の上の榎(えのき)の木は一里塚の形態そのものですから。



●馬塚に対する疑問点

 疑問点を整理すると下記の通りです。

(1)現西郷川河原橋付近が激戦地でそこで多くの馬が死んだとするなら、わざわざ800mも人家に近い所に運び埋葬する必然性がないと思うのです。河原橋付近の山の際にいくらでも埋葬するのに適した場所はあります。

(2)埋葬場所が昔の街道脇というのも理解できない。普通に考えれば街道から離れた山の際に埋葬すると思うのです。文治2年(1186)頃の「米一丸(よねいちまる)」事件の話でも分かるように、旧唐津街道の時代の前から、ここは幹線道路だったのです。その幹線道路のすぐそばに馬の墓を作る事は普通しないと思うのです。

(3)この塚が馬塚だとしても、秀吉が一里塚を造るときに、街道そばの似たような塚は旅人が迷うではないか! すぐに崩しなさい。ましてやの榎(えのき)の木を植えるとは、とんでもないこと! このようになると思うのです。

(4)盛り土(塚)の上に榎(えのき)の木というのが一里塚の形態です。長崎街道で唯一残っている「ひのはしら一里塚」も同じような形態になっています。

※ 掲載した内容は 2014年 10月 30日時点の内容です。変更になるおそれがあります。自己責任で御利用ください。

 
 


 ◆ 畦町の西の搆口から400m程度 青柳(福岡市)方面に行った所に枝ぶりの良い榎(えのき)の木がある
畦町の西の搆口から400m程度 青柳(福岡市)方面に行った所に枝ぶりの良い榎(えのき)の木がある


 ◆ 盛り土(塚)の上に榎の木は典型的な一里塚の形式
盛り土(塚)の上に榎の木は典型的な一里塚の形式

 旧 唐津街道に一里塚はあったのか? 答えは「あったんです」。
秀吉は朝鮮出兵の為の基地として佐賀県に名護屋城を作りました。 名護屋城は文禄元年(1592年)3月に完成し、当時の城郭では大坂城に次ぐ広壮なものであったようです。

 その名護屋城に各大名が行き来し、物や人の往来が増えたために備中河辺(現在の岡山県倉敷市真備町川辺)から名護屋城までの道を整備し一里塚を設けたそうだ。
その時に設けられた一里塚が佐賀市に残っています。太閤道一里塚(通称 佐志の辻)と言っています。

 佐賀市の太閤道一里塚(通称 佐志の辻)の場所には「道祖神」が祀られています。1里(約4Km)青柳宿方面に行った1里塚があったかもしれない所の古賀市筵内(むしろうち)の場所にも「山の神」という御堂があり、陰陽石が祀られています。
これは偶然かもしれませんが、一里塚と陰陽石(道祖神)の関係も、おもしろいですね。道祖神(どうそしん)は、路傍の神で、村の守り神、子孫繁栄、近世では交通安全の神ですから、なにか関係がありそうです。

 結論から言えば、
街道そばの盛り土(塚)の上の榎(えのき)の木、これは一里塚そのものなのに、残念ながら、今回はっきりした証拠を見つけることが出来ませんでした。 くやしいな〜・・・・

 「ひのはしら一里塚」も佐賀県指定重要文化財になっていますから、 畦町の馬塚も唐津街道に残る一里塚としたら、県の文化財になる程の遺跡なんですがね。

(2011/11/24)
図書館い行き 引き続き調査しました。調査結果はこのページの最後に書いておきます。


 ◆ 街道筋のそばにある事から一里塚の可能性が高い
街道筋のそばにある事から一里塚の可能性が高い
 ◆ 榎(えのき)の木は樹齢150年くらいと思われる
榎(えのき)の木は樹齢150年くらいと思われる

 ◆ 榎(えのき)の木の根元に祠(ほこら)がある
榎(えのき)の木の根元に祠(ほこら)がある
 ◆ 徳利(とっくり)もある
徳利(とっくり)もある

 ◆ 「松鶴」は畦町の中村酒屋が作っていた酒
「松鶴」は畦町の中村酒屋が作っていた酒
 ◆ 祠はキツネがいるので「お稲荷様」かな?
祠はキツネがいるので「お稲荷様」かな?

 ◆ 昔に合戦があったという現 西郷川河原橋付近。最近 コンビニが出来ている ※場所はここ(中央”+”付近)
昔に合戦があったという現 西郷川河原橋付近。最近 コンビニが出来ている

 ◆ 西郷川河原橋の周辺には馬の墓(馬塚)を造る場所はいくらでもある
西郷川河原橋の周辺には馬の墓(馬塚)を造る場所はいくらでもある




 
 

 畦町にある「馬塚」がもしも一里塚とするなら、一里ほど赤間宿方面に行った所や、青柳宿方面に行った所に、一里塚の痕跡がないものか調査してみました。

● 1里「赤間宿」方面に行った地点。
 畦町の馬塚から1里(約3.9Km)赤間宿方面に行った地点(車で計測)は大穂(おおぶ)町と原町の境付近です。そこの右側には納骨堂があり、30m程度先に行った左には「お大師様」があります。もし、この辺りが1里塚の跡だとするなら「お大師様」の方が可能性が高いですね。 この「お大師様」には手水鉢や仏像がありますが、いづれも明治以降にできたもののようです。
では、ここに「お大師様」が出来る前は、何だったんだろうか? その資料は見つけることができなかった。
「お大師様」の御堂が建っている場所も少し高くなっています。一里塚の盛り土を利用したものかもしれません。

● 1里「青柳宿」方面に行った地点。
 畦町の馬塚から1里(約3.9Km) 青柳宿方面に行った地点(車で計測)は古賀市の「古賀清掃工場エコロの森」を少し過ぎた所です。左に「高柳池」という溜池があります。この溜池は明治27年にできたようです。 その溜池の堤防の下に「山の神」の御堂があります。
もし、この辺りが昔の一里塚だったとしたら、その場所は旧唐津街道の脇にある「山の神」の御堂の辺りと思います。

 そして、この辺りには唐津街道の道標があったらしいので、ずいぶん探しましたが見当たらなかったです。今はないようです。
その道標に「旧肥前唐津街道 左 畦町二里 右 青柳町一里」 と彫られていたそうだ。  え! 畦町二里???  一里の間違いではと思いましたが、いろいろなサイトで「畦町二里」と彫ってあったと書いてあるのです。
これはどういうことでしょうか? 
また、ここから 県道503号線を約 1.5Km 青柳方面に行った(株)伸和産業の所に唐津街道の道標があり、「左 青柳町半里、右 畦町二里半」 と間違いなく彫ってあります。その場所はここ(中央”+”付近)。

 (株)伸和産業の所に唐津街道の道標 「左 青柳町半里、右 畦町二里半」 を1里=3.92Km で計算すると、畦町ー青柳 の間の距離は 3里× 3.92Km = 11.76Km という事になります。
これも実際より大きな数字です。実際の距離は 8Km 程度です。 資料にも 青柳宿ー赤間宿 の間の距離が4里(約16Km)あり、離れているので中間の畦町に宿場を造ったという記述もありますから、 青柳宿ー畦町宿の間の距離は2里(約8Km)で間違いないと思うのです。
それなのに 「左 青柳町半里、右 畦町二里半」の合計3里(約12Km)の道標は何でしょうかね? 

 なんだか、ややこしい話になりましたが、要約するとこうです。畦町の馬塚から1里(約4Km)青柳方面に行った所には かって道標があり「左 畦町二里 右 青柳町一里」と彫ってあった。なぜ1里でなくて「畦町二里」なのかが疑問なのです。 この道標が正しいとするなら、青柳宿―畦町宿の間の距離は3里(約12km)ということになります。これは変です。2里のはずです。
ただし、今回 車で走行した距離は畦町の馬塚のある所からの距離なので、畦町の中心地までなら700m程度加算する必要があります。それを考慮しても1里が2里になることはありません。

そもそも 青柳宿―畦町宿の間の距離は2里と昔の歴史本にも書いてあることです。たとへば、文化3年(1806年)の旅行記である筑紫紀行にはこのように書いてあります。 「小坂を上り下りして三十丁計行けば畦町宿。青柳宿より是まで二里。人家六十七軒茶屋あり・・・・・」 これからも分かるように青柳宿―畦町宿の間の距離は昔から2里なのです。どう考えても道標の3里はおかしいと思うのです。

考えられることは

(1)全国標準の一里(1里=3.92Km)でなく黒田藩は約2Kmが一里という黒田藩独自の尺度を使っていた。→ そういう資料が出てこないし、いろいろな藩の旅人が通る街道で1里の距離が藩ごとに違っていたら混乱するので、それは無いと思う。

(2)車で通った道と昔の旧唐津街道では距離が違うのでは? → 唐津街道(図書出版のぶ工房)の地図を参考にしてるので大きな違いはないはずだ。ただ、内殿の所の「ならの木坂」の所が100m程度 県道503号線が長い程度です。1里が2里になるほどの違いはないはずです。

(3)車の距離計が壊れているのでは? → 地図上で県道503号線の上に糸を引いて測った結果も、ほぼ同じだったから車の距離計が間違っていることはないです。

(4)道標の1里は一定の距離でなくて普通の人が1時間に歩く距離。青柳ー畦町の間は峠越えなので普通の倍時間がかかる。それで1里を4キロでなく2キロ程度で計算して表示しているのでは? → 可能性はあるがその確証がない。

 ※ 結局、青柳宿―畦町宿の間が3里という道標の意味(原因)が何なのか分かりませんでした。
 道標に刻まれている数字もよく分かりませんでしたが、一里塚の跡も、ここだという場所は確認できませんでした。引き続き調査します。

 
 



■■■■■ 《 1里「赤間宿」方面に行った地点 》 ■■■■■


 ◆ 1里「赤間宿」方面に行った地点はこの辺り(大穂町と原町の境付近) ※場所はここ(中央”+”付近)
1里「赤間宿」方面に行った地点はこの辺り(大穂町と原町の境付近)

 ◆ この「お大師様」の方が可能性が高い。 右に十三仏が並んでいる
この「お大師様」の方が可能性が高い。 右に十三仏が並んでいる

 ◆ 少し高台に御堂は建っている。ここが藩政時代に一里塚だったとしても違和感はない
少し高台に御堂は建っている。ここが藩政時代に一里塚だったとしても違和感はない



■■■■■ 《 1里「青柳宿」方面に行った地点 》 ■■■■■


 ◆ 1里「青柳宿」方面に行った地点はこの辺り(古賀清掃工場エコロの森の近く) ※場所はここ(中央”+”付近)
1里「青柳宿」方面に行った地点はこの辺り(古賀清掃工場エコロの森の近く) ※場所はここ(中央”+”付近)

 ◆ 1里の地点。左が旧唐津街道 (矢印の所に数年前まで 「唐津街道の道標」があったが、今はないようだ)
1里の地点。左が旧唐津街道 (矢印の所に数年前まで 「唐津街道の道標」があったが、今はないようだ)

 ◆ 1里の地点を青柳方面から見る (右に「山の神」という御堂がある)
1里の地点を青柳方面から見る (右に「山の神」という御堂がある)

 ◆ 「山の神」には、あやしげな物が祀ってある (一里塚があったとしたらこの場所の可能性が高い))
「山の神」には、あやしげな物が祀ってある (一里塚があったとしたらこの場所の可能性が高い))

 ◆ 馬塚から 約5.5Km行った地点に唐津街道の道標がある (左 青柳町半里、右 畦町二里半) ※ 場所はここ
馬塚から 約5.5Km行った地点の(株)伸和産業の所に唐津街道の道標がある (左 青柳町半里、右 畦町二里半) by 平成二年筵内神社会 ※ここは畦町から 約 5.5Km 付近

 結局、残念ながら、一里塚の跡はここだ! という場所は確認できませんでした。





 ◆ 最後にもう一度見てみよう。 やはりこれは典型的な「一里塚」だ!
最後にもう一度見てみよう。 やはりこれは典型的な「一里塚」だ!


 
 

◆◆◆◆◆ 1里塚の痕跡を再調査 ◆◆◆◆◆

 福津市図書館、古賀市図書館、ユリックス図書館に行き、旧唐津街道や各市史関係の本を片っ端から調査しました。 どこかに一里塚のことが書いてあるはずだと思いましたが、なかなか無くて苦労しました。約50冊は調査しました。
それで少しありました。下記の本に書いてありました。私が探したところでは、この程度しか一里塚のことは書いてなかったです。

大里から博多へ そして唐津へ 唐津街道  ( 著者 河島悦子 )1999年12月 8日発行

 【43ページ】赤間宿〜宮田峠 ※ 画像
・伊能忠敬測量日記
左側曲村、宮田川、石橋六間。左右曲村枝宮田字宮田峠、左右田久村、 一里塚あり、箱崎より七里なり、字小峠、右側徳重村、右八町ばかり古城跡緑の城山という。黒川刑部隆尚の 居城という。左側陵厳寺村、左右同じ。
左右赤間村、町並み人家続き、家百五十六軒、止宿所前、即ち一里二十九町九間、馬駅、昼休新屋勘三郎。
右に制札、左に領主の茶屋、左浄土宗受岳山法念寺、木屋瀬、芦屋道追分分印を残す。三町一間一尺。

上記に記載している場所はおおまか、この辺り(マピオン 中央 ”+”あたり)
なおこの位置は畦町の馬塚から約 7,800m(ほぼ2里)の地点になる。


 【59ページ】青柳〜太閤水 ※ 画像
・伊能忠敬測量日記
道端に地蔵堂あり。並に飯銅水というあり。太閤名古屋御出陣に、この水をのまるるという。左右に一里塚あり、左ばかりに上府村、右側ばかりに小竹村、左右青柳村枝神田、・・・(後略)

上記に記載している場所はおおまか、この辺り(マピオン 中央 ”+”あたり)
なおこの位置は畦町の馬塚から約 12,400m(ほぼ3里)の地点になる。

●古賀町誌 (編集 古賀町誌編さん委員会) 昭和六十年十一月一日 発行

 【67ページ】町の自然環境 ※ 画像
新原の一里塚には老松が向かい合って二本残っていたが、昭和五年の台風でたおれた。・・・(後略)

上記に記載している場所は新原なので、おおまか、この辺り(マピオン 中央 ”+”あたり)
なおこの位置は畦町の馬塚から約 6,300m( ほぼ2.5里)の地点になる。この地点の距離が中途半端だ。なぜか?

 前でも書きましたが文化3年(1806年)の旅行記である筑紫紀行にはこのように書いてあります。 「小坂を上り下りして三十丁計行けば畦町宿。青柳宿より是まで二里。人家六十七軒茶屋あり・・・・・」 これからも分かるように青柳宿―畦町宿の間の「旦ノ原」越えは小坂が多かったようだ。
今の県道503号線は山を削り、谷を埋めて、なだらかな坂道になっていますが、昔は自然の地形のままだったので、小さな谷を下り、そして上り、そして下り、上りして今より距離も長かったと思われます。歩く時間もかかったと想像できます。 だから、一里塚は 単純に 今の 3.92km を1里にするのでなくて 3Km 程度を1里にしたのだろうか? それなら納得できるのだが・・・・なぜかすっきりしない。


 
 


 ◆ 一里塚関連図< ※ ビッグ写真はここ
一里塚関連図


 
 

◆◆◆◆◆ 畦町の馬塚に関する考察 【結論】 ◆◆◆◆◆

【結論】
 古賀の新原の一里塚の疑問は残りますが、新宮町の一里塚までほぼ3里、宗像市の徳重の一里塚までほぼ2里などを考えると畦町の馬塚は確定できないが、ほぼ一里塚と考えて良いのではないかと思います。私の気持ちとしては90%方一里塚だと思っています。


引き続き調査します。

 
 


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