◆ 昔に仲哀天皇の仮住まいの地であった古宮(ふるみや)趾
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仲哀天皇は伝説の神功皇后の夫であった人ですが、神功皇后があまりにも有名であり夫の仲哀天皇は影が薄いですね。まあ、仲哀天皇も神功皇后も本当に実在したかどうか疑問視されている天皇(皇后)の一人です。
『日本書紀』などによると熊襲(くまそ)討伐のため神功皇后とともに筑紫に赴いた仲哀天皇はこの地で急死(崩御)してしまいます。『天書紀』では熊襲(くまそ)の矢が当たったと書かれているようだ。
この古宮の地が熊襲(くまそ)討伐のために九州に来た仲哀天皇の仮住まいである橿日宮(かしひのみや)だった所で、仲哀天皇はこの地でお亡くなり(崩御)になったという事のようです。
そして、お亡くなりになった仲哀天皇の御棺を椎(しい)の木に立て掛けておいたところ、四方に香ばしい香りを放ったため、この地を香椎(かしい)と言うようになったそうだ。
で、お亡くなりになられた仲哀天皇はどこに葬られたのか? 仲哀天皇の御陵は『日本書紀』では「河内国長野陵」、『古事記』では「御陵は河内の恵賀(えが)の長江にあり」と書いてあるそうだ。河内ですから大坂ですね。
ここでお亡くなりになられて大坂に埋葬というのも、なにか無理がありますね。香椎宮が昔には陵墓的な存在だったようなので、この地に埋葬されたのではないかと私は思うのですがどうでしょうね?
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