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◆◆◆◆◆ 御島神社・濱男神社・かぶと塚 ほか ◆◆◆◆◆

 香椎宮関連の施設(境内社など)をいろいろ撮影しましたが、下の地図で Fかぶと塚 H御島鳥居 の撮影が抜けていましたので、今回、香椎宮の末社などを撮影してきました。
神功皇后関連の所が多かったですね。 まあ、香椎宮はその昔に熊襲(くまそ)討伐のために九州に来た仲哀天皇の仮住まいである橿日宮(かしひのみや)があった場所で、仲哀天皇はこの地でお亡くなり(崩御)になり、 仲哀天皇の霊を、神功皇后が祭られたのが香椎宮と云われています。だから、この近辺に神功皇后伝説が多く残っています。

 JR香椎駅から西にほぼ真っ直ぐ行った海の中に 岩礁(がんしょう)があり、そこに鳥居が建っています。その鳥居が御島鳥居(御島神社)です。
香椎宮の公式サイトには下記のように書いてあります。

御島神社とは
御祭神  綿津見神 (わたつみのかみ)
例祭日  旧暦の8月15日
御神徳  海上安全・交通安全・開運厄除

御由緒
香椎浜と人工島の間の海上の、鳥居が立っている島に鎮座する神社です。
神功皇后が御渡海に際し、神々の神教の当否を占われたと日本書紀にも伝えている聖地です。

―八幡本紀―
「香椎宮の西、浜男と云ふ所の浜、是即ち橿日浦なり。こゝより八、九町ばかり沖に大岩あり。是を御島と云ふ。
則ち皇后のいたり給ひて御髪をすゝがせ給ひし処なり。岩島にて其の上に御島神社の社あり。」

―日本書紀―
「皇后、還りて、橿日浦に詣りまして、髪を解き、海に臨みて曰はく『吾、神祇の教を被け、皇祖の靈をョり、
滄海を浮渉りて躬ら西を征たむと欲す。是を以ちて、今、頭を海水に滌ぐに若し験有らば髪自ら分れて両に為れ。』
と即ち海に入りて洗ぎたまふに髪自らに分れぬ。皇后便ち髪を結分げたまひて髻に為たまふ。」
●香椎宮公式サイト→http://kashiigu.com/publics/index/102/

※ 掲載した内容は 2013年7月20日時点の内容です。変更になるおそれがあります。自己責任で御利用ください。

 
 


 ◆ 香椎宮の案内板にもある ※ ビッグ写真はここ
香椎宮の案内板にもある
 ◆ かぶと塚、御島鳥居
かぶと塚、御島鳥居



    ■■■■■ 御島鳥居・御島神社 ■■■■■ ※ 場所はここ(中央“+”付近) 


 
 

◆◆◆◆◆ 御島(みしま)鳥居・御島(みしま)神社 ◆◆◆◆◆

 御島(みしま)鳥居の建っている岩礁は、 御島(みしま)鳥居(御島神社)と言います。その昔(西暦200年頃)に神功皇后が朝鮮征伐に向かう前に、この岩礁に渡り、 神意を問うたのがこの地との伝承があるそうです。
そして、結い上げた髪をほどいて海に入り、海から出た時には髪が2つに分かれていました。その髪を角髪(ミヅラ)に結って男の姿になったそうです。
角髪(ミヅラ)の髪は下記の絵馬にある神功皇后の髪型です。この髪型は昔の神武天皇などの絵でよく見かける髪型ですね。

 神功皇后が髪を男のように結われて、海岸に上陸したところ、皆が「男のようになられましたね」と言っので、その海岸を片男佐(かたおさ)海岸と言うようだ。 頭は男の髪型、衣裳は女物なので半分男になった意味ようです。 今のイオン香椎店の北部にある御島崎地区の海岸です。

 JR香椎駅前(西側)は今は香椎駅前という地名になっていますが、ほんの10年前まで「浜男」という地名でした。これも神功皇后と関係があるようです。
神功皇后が鎧(よろい)坂で鎧(よろい)を着けられ、全部男になったので、浜で男になった意味で「浜男」と云われたそうだ。

 御島(みしま)神社は香椎宮の末社で、綿津見(わだつみ)の神を祀っています。この綿津見(わだつみ)の神はこの近辺の式内社である 志賀海神社宗像大社でも祀られている神様です。
海神(ワタツミ)は阿曇(あづみ)族が信仰する神様で、阿曇(あづみ)族は古代日本を代表する海神族で志賀島一帯が本拠地であったようです。
一説では紀元前473年頃 中国の越に敗れた呉の家臣が水稲の技術と養蚕の技術を持って 日本に逃れて来たのが阿曇(あづみ)族と云われています。 日本の文明はこの近辺から始まったのかもしれません。

御島(みしま)神社の動画案内 (約3分)

 
 


 ◆ 香椎浜の海の中にある御島(みしま)鳥居
香椎浜の海の中にある御島(みしま)鳥居

 ◆ 角髪(ミヅラ)の髪になり男姿になった神功皇后
角髪(ミヅラ)の髪になり男姿になった神功皇后

 左の絵馬は香椎宮に奉納されている絵馬です。この神功皇后の絵は朝鮮征伐に出発する前ですね。 髪型を角髪(ミヅラ)に結って、鎧(よろい)を身に着けています。完全に男の姿ですね。

 この御島(みしま)鳥居のある海は、20年前の1994年から埋め立てが行われ福岡アイランドシティができて、池のようになっていますが、その前には、海ノ中道が見渡せる、広々とした海岸でした。

 ◆ 潮が引いた時の御島鳥居 (右奥は御島神社の祠)
潮が引いた時の御島鳥居 (右奥は御島神社の祠)

 ◆ 少し離れた御島岩礁の上に小さな祠(ほこら)がある。これが御島神社の祠(ほこら)
少し離れた御島岩礁の上に小さな祠(ほこら)がある。これが御島神社の祠(ほこら)

 ◆ 石灯籠には「濱男中」という字が見える
石灯籠には「濱男中」という字が見える
 ◆ 鳥居の扁額には「御島神社」の文字
鳥居の扁額には「御島神社」の文字
 ◆ 後ろは福岡アイランドシティの家々
後ろは福岡アイランドシティの家々


 ◆ 奥村玉蘭が1810年頃に描いた墨絵 筑前名所図会(福岡市博物館所蔵)の香椎村図です
奥村玉蘭が1810年頃に描いた墨絵 筑前名所図会(福岡市博物館所蔵)の香椎村図です


 
 

◆◆◆◆◆ 筑前名所図会(福岡市博物館所蔵)について ◆◆◆◆◆

 上の昔の絵図を見ると面白いですね。これを描いた奥村玉蘭は正確な絵を描くことで有名な人のようです。
まず家数が10数軒しかなかったようですね。絵の中の家が描かれている上部に道が描いてある所が、今のJRの線路に沿ってある旧唐津街道です。 旧唐津街道に沿って家が建っており、その家の裏は海岸だったことが分かります。

 濱男神社(はまおじんじゃ)も描かれていますね。濱男神社(はまおじんじゃ)の裏はすぐに海岸になっています。
この絵を見ると、今の西鉄電車の線路あたりが波打ち際から少し海に入ったあたりと推測できます。
それから考えると、波打ち際から岩礁の御島鳥居までは相当に距離がありますね。「八幡本紀」に八、九町ばかり沖に大岩あり・・・・とあります。 1町は109.09091メートルですから、約 800〜900m 沖合であった事になります。今に比べると、ずいぶん遠かったですね。

 片男佐(かたおさ)海岸にも鳥居があります。鳥居の額には「香椎宮」と書いてあります。これは香椎宮の第一の鳥居です。 かっては海の中にあったそうですが、今は陸に建っています。

 
 


 ◆ 今の片男佐(かたおさ)海岸と香椎宮 第一の鳥居
今の片男佐(かたおさ)海岸と香椎宮 第一の鳥居

 ◆ 香椎宮 第一の鳥居
香椎宮 第一の鳥居
 ◆ 香椎宮 第一の鳥居の額
香椎宮 第一の鳥居の額

◆ 松本清張の「点と線」では、この海岸で死体が見つかる
松本清張の「点と線」では、この海岸で死体が見つかる
 ◆ 松本清張の「点と線」
松本清張の「点と線」



    ■■■■■ 濱男神社 ■■■■■ ※ 場所はここ(中央“+”付近) 


 
 

◆◆◆◆◆ 濱男神社(はまおじんじゃ) ◆◆◆◆◆

 濱男神社(はまおじんじゃ)は香椎宮の末社で建立時期は不明です。JRの線路の近くにある香椎宮の二の鳥居の近くにあります。 十数年前までは香椎大字浜男字向 という地名だった所です。
上に掲載した「奥村玉蘭が1810年頃に描いた香椎村図」 では、旧唐津街道沿いにあり、濱男神社(はまおじんじゃ)の裏は海岸になっています。
神功皇后が御島神社に参拝する際に、海が荒れた時はこの濱男神社から参拝されていたとの言い伝えが残っています。 ここから御島鳥居(御島神社)を参拝する「遥拝所」だったようです。

 ここが遥拝所であれば祭神は御島神社と同じ綿津見(わだつみ)の神であろうが、現地の案内板では「地神五代(ちじんごだい)」と書いてあった。
地神五代(ちじんごだい)とはあまり聞かない名前であるが、天神七代に続き、神武天皇以前に日本を治めた5柱の神の事のようだ。 すなわち、天照大神・天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)・草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の5代を言います。

 エノキの根元には「親子猫塚」と言われる丸い塚がありますが、これが何であるか詳しい情報を持っていません。いろいろ調べても出てきませんでした。 知っている人は教えてください。

濱男神社の動画案内 (約2分30秒)

 
 


 ◆ 旧唐津街道沿いにある濱男神社(はまおじんじゃ) ※ この写真の右側にJR鹿児島本線の線路がある
旧唐津街道沿いにある濱男神社(はまおじんじゃ)※ この写真の右側にJR鹿児島本線の線路がある

 ◆ 濱男神社(はまおじんじゃ)の鳥居
濱男神社(はまおじんじゃ)の鳥居
 ◆ 濱男神社(はまおじんじゃ)の建立時期は不明
濱男神社(はまおじんじゃ)の建立時期は不明
 ◆ 祠(ほこら)とエノキの大木がある
祠(ほこら)とエノキの大木がある

 ◆ 入って右に隠れるように石灯籠がある
入って右に隠れるように石灯籠がある
 ◆ 濱男神社の祠(ほこら)地神五代を祀る
濱男神社の祠(ほこら)地神五代を祀る

 ◆ エノキの木の樹齢は定かでないが、
 幹回りから判断すると 約250年くらいだろうか?

エノキの木の樹齢は定かでないが、幹回りから判断すると 約250年くらいだろうか?

 ◆ 石灯籠の土台が残る

石灯籠の土台が残る
◆ エノキの根元には「親子猫塚」と言われる丸い塚がある
エノキの根元には「親子猫塚」と言われる丸い塚がある





    ■■■■■ 鎧(よろい)坂 ■■■■■ ※ 場所はここ(中央“+”付近) 


 
 

◆◆◆◆◆ 鎧(よろい)坂 ◆◆◆◆◆

 JR香椎駅の北西部にある鎧(よろい)坂。伝説では御島(みしま)神社のある岩礁で男の髪型である角髪(ミヅラ)に結って陸に上がられ、この鎧(よろい)坂で休憩をしているときに、 鎧(よろい)を着けられ、全部男になったので、この近辺を浜男(はまお)と言い、この坂を鎧(よろい)坂と言うそうだ。

 鎧(よろい)坂の石碑が建っている約10m程度が鎧(よろい)坂と思っていましたが、石碑には「之より六百米を鎧(よろい)坂」と書いてあるので、 この近辺の坂600mを「鎧(よろい)坂」と言うようだ。

 この坂は参勤交代の時に落馬すると死ぬ坂と云われた「忌み地(いみち)」であったようだ。今もこの坂を通ると祟りがあると地元では言われており、小学校が近くにあるが、通学で、この坂は通らないそうだ。

鎧(よろい)坂の動画案内 (約1分20秒)

 
 


 ◆ 神功皇后は髪を男の髪型の角髪(ミヅラ)にしたあと、この坂で鎧(よろい)を身に付けたという
神功皇后は髪を男の髪型の角髪(ミヅラ)にしたあと、この坂で鎧(よろい)を身に付けたという

 ◆ 県道504号線との分岐点近く(右が県道504号線)
県道504号線との分岐点近く(右が県道504号線)
 ◆ 之より六百米を鎧(よろい)坂と言うようだ
之より六百米を鎧(よろい)坂と言うようだ
 ◆ この道は旧唐津街道かと思ったが違った
この道は旧唐津街道かと思ったが違った



    ■■■■■ 冑塚(かぶとづか) ■■■■■ ※ 場所はここ(中央“+”付近) 


 
 

◆◆◆◆◆ 冑塚(かぶとづか) ◆◆◆◆◆

 上の鎧(よろい)坂から約100m離れた場所、JR香椎駅の北部、約800m位の所に冑塚(かぶとづか)はあります。ちょっとした公園になっていますが、 現地の説明板によると「香椎宮飛地境内」と書いてあった。
伝説によると、神功皇后が西征の時にここで冑(かぶと)を着けたと云う。あるいは御帰朝の後、御冑を埋めたとも伝えられていいます。

 享保年間(1716年頃)に塚内から兜形の年輪があるの松化石を掘り出し、博多の医師 荻野玄庵が持ち帰り、庭石として使用し、 玄庵の死後に墓石として使用したが、祟りが多くあったので、子供が元に戻して塚を築き、石物を据えたといわれています。

 もう一つある花崗岩を加工して冑(かぶと)のようにした石は 寛保年中(1741〜3)に新宮町上ノ府に住んでいた源四郎という者が、玄庵が持ち去った石を惜しんで花崗岩を加工して奉納したものです。
顔面が十字になっているので隠れキリスタンを連想しますが、関係ないようです。

 普通、「かぶと」は「兜」の字を書くが、ここは「冑」の字を使うようだ。

 ほかに猿田彦や庚申天、五穀神社などの石碑もある。

冑塚(かぶとづか)の動画案内 (約1分30秒)

 
 


 ◆ 冑塚(かぶとづか)のある場所は小さな公園風になっているが「香椎宮飛地境内」のようだ
冑塚(かぶとづか)のある場所は小さな公園風になっているが「香椎宮飛地境内」のようだ

 ◆ 何かある?
何かある?

 ◆ 左から2番目の松化石(珪化木)が冑塚(かぶとづか)
左から2番目の松化石(珪化木)が冑塚(かぶとづか)

 ◆ 神功皇后が埋めた冑(かぶと)が石になったと思ったようだ
神功皇后が埋めた冑(かぶと)が石になったと思ったようだ

 ◆ この珪化木が「冑塚(かぶとづか)」
この珪化木が「冑塚(かぶとづか)」

 ◆ これは寛保年中(1741〜3)に新宮町上ノ府に住んでいた源四郎という者が作ったもの
これは寛保年中(1741〜3)に新宮町上ノ府に住んでいた源四郎という者が作ったもの

 ◆ 五穀神社の碑がある
五穀神社の碑がある
 ◆ 猿田彦大神の碑
猿田彦大神の碑
 ◆ 庚申天(こうしんてん)の碑
庚申天(こうしんてん)の碑



    ■■■■■ 耳塚(みみづか) ■■■■■ ※ 場所はここ(中央“+”付近) 


 
 

◆◆◆◆◆ 耳塚(みみづか) ◆◆◆◆◆

 耳塚(みみづか)は福岡市東区香椎駅東2丁目の普通の民家の庭にあります。ネットに詳しい情報がなかったので、現地に行き、ずいぶん探しました。地元の人達も知らないようです。 庭を見ながら歩いてようやく見つけました。個人の住宅ですから紹介するのも、どうかな? と思いましたが外か見るには問題ないだろうと思い紹介します。
場所は下の写真にある家です。車庫の奥にあります。住所は香椎東2丁目15−15ですね。JR香椎駅の東になります。

 この耳塚(みみづか)は馘塚(きりみづか)とも云うようです。神功皇后が凱旋後、新羅の人々を供養したといわれているものです。 名前から見ると秀吉の朝鮮出兵の時のように耳とか首とかを持ち帰り埋葬したのでしょうかね?
詳しいことは分かりません。

 ※ 個人の住宅の敷地内にあるので、くれぐれも迷惑にならないように見学してください。

耳塚(みみづか)の動画案内 (約1分)

 
 


 ◆ 耳塚(みみづか)香椎駅の東側の団地の中の民家の庭にある (この車庫の奥にある)
耳塚(みみづか)香椎駅の東側の団地の中の民家の庭にある (この車庫の奥にある)

 ◆ これが耳塚(みみづか)
これが耳塚(みみづか)



    ■■■■■ 鎧塚(よろいづか) ■■■■■ ※ 場所はここ(中央“+”付近) 


 
 

◆◆◆◆◆ 鎧塚(よろいづか) ◆◆◆◆◆

 JR香椎駅から約100m北西の位置に「浜男神社」というのがありました。そこに「鎧塚(よろいづか)」なるものがあったのですが、現地に行ってみると、 香椎駅周辺土地区画整理事業が行われており、あたり一面工事中で神社もなかった。
香椎駅周辺土地区画整理事業の事業施工期間は 平成11年10月28日〜平成31年3月31日←めちゃくちゃ期間が長い。
「浜男神社」は、名前が同じですが、このページの上の方に記述した濱男神社(はまおじんじゃ)とは別の神社です。

 鎧塚(よろいづか)も神功皇后に関係した伝説のある場所だったようです。詳しい情報は持っていません。

 
 


 ◆ 浜男神社があった辺り  ※ 2013/01/11 撮影
浜男神社があった辺り  ※ 2013/01/11 撮影


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  *インフォメーション
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    ■福岡市観光案内所   092-431-3003
  *アクセス
  ■どこもJR香椎駅から徒歩20分以内

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