◆◆◆◆◆ 九州大学箱崎キャンパス ◆◆◆◆◆

●九州帝国大学
九州大学の箱崎キャンパスは昔には九州帝国大学工科大学があった場所です。
九州帝国大学は1903年(明治36年)京都帝国大学の分科大学として福岡医科大学が設置されたのが始めです。そこは今でも九州大学病院がある福岡市東区馬出地区です。

その後、資金難で帝国大学の設置は進まなかったが、明治39年(1906年)古河財閥から巨額の寄付金(100万円)があり、九州帝国大学工科大学校舎建設の資金として当てられました。さらに福岡県からも寄付が行われ
明治44年(1911年)1月1日に九州帝国大学が設立されました。九州帝国大学の初代総長は東京帝国大学の総長と明治専門学校の初代総裁を務めた山川健次郎でした。
大正8年(1919年)帝国大学令の改正により,両分科大学はそれぞれ医学部、工学部と改称され,新たに農学部が設置されました。
昭和22年(1947年)に帝国大学令が国立総合大学令に改められると九州大学と改称しました。
昭和24年(1949年)に法文学部を文学部・法学部・経済学部に改組し、文学部から教育学部が分離しました。
平成26年(2014年)4月1日、九州大学本部が箱崎地区から伊都(いと)キャンパスに移転しました。

●箱崎キャンパス
箱崎キャンパスは理系キャンパスと文系キャンパスに分かれています。文系キャンパスには比較的新しい校舎しかありませんが、理系キャンパスの南部には明治44年(1911年)にできた(理X4)正門の赤煉瓦の門を筆頭に、
大正14年(1925年)に竣工した赤レンガの(理27)九州帝国大学工学部本館(九州大学 大学本部事務局)、昭和5年(1930年)に竣工した(理2)九州帝国大学 工学部 本館(九州大学 工学部 本館)などいくつかの風格のあるレトロの建物が残っています。

この九州帝国大学箱崎キャンパスの敷地計画や敷地設計は文部省の建築課長だった久留正道(くる まさみち)氏と矢島一雄(やじまかずお)、柴垣鼎太郎(しばがきていたろう)氏によって行われました。久留正道(くる まさみち)氏は東京帝国大学工科大学建築学科を明治14年(1881年)に卒業した第三回生でした。
各地の高等中学校の建築に従事し、学校建築の標準となった明治28年刊の「学校建築図説明及設計大要」は久留の著作といわれており、学校建築の大御所だった人です。
矢島と柴垣は明治35年(1902年)に東京帝国大学工科大学建築学科を卒業した後輩でした。

その後、東京帝国大学工科大学建築学科を明治39年(1906年)に卒業した倉田謙(くらたゆずる?)氏が明治44年(1911年)に着任し、矢島の仕事を引き継ぎ、実に多くの校舎の設計を行いました。
倉田謙が設計し大正3年(1914年)に竣工した工学本館は惜しくも大正12年(1923年)の火災で全焼しました。
焼失した工学本館のレンガや石材を使用して(一部は病院地区の病棟の部材も使用した)急きょ建築されたのが大正14年(1925年)に竣工した(理27)仮実験室研究室です。
これは現在も残る赤レンガの(理23)学本部事務局本館と第三庁舎で、いずれも倉田謙の設計です。

大正14年(1925年)には鉄筋コンクリート造りの(理X6)法文学部(旧応力研・生産研)本館が竣工、大正15年(1926年)には(理20)九州帝国大学附属図書館が竣工、昭和2年(1927年)には(理21)法文学部心理学教室が竣工、(理X7)工学部応用化学教室が竣工しました。これらも
すべて倉田謙の設計です。

大正3年(1914年)に焼失した工学本館の跡地には昭和5年(1930年)に待望の(理2)工学部本館が竣工しました。これも倉田謙の設計です。
鉄筋コンクリート造りの校舎は中央の展望塔と両脇に半円筒形の塔屋を中心にして左右対称の造りで、茶色のタイルが重厚な存在感を醸し出しています。

他に正門の横にある赤レンガの(理X5)門衛所や赤レンガの(理X8)造船学教室実験室、鉄筋コンクリート造りの(理X2)河海工学実験室なども倉田謙の設計です。
九州大学箱崎キャンパスに現存する大正から昭和の初期に建てられた建築物の多くが倉田謙の設計なのです。すごい人ですね。

結局、倉田謙の設計でないのは、昭和6年(1931年)に竣工した(理X1)工学部高周波電気及電子工学実験室、昭和6年(1931年)に竣工した(理69)熱帯農学研究センター(旧 演習林本部)などのいくつかですね。

●馬出キャンパス(九州大学医学部)
箱崎キャンパスの正門前の道を天神方面(南方面)に約1.8Km(徒歩で約25分) 行った所に 九州大学の医学部(馬出キャンパス)があります。
九州大学は元は九州帝国大学であり、九州帝国大学は 明治36(1903年)4月に京都帝国大学の一分科として設置された
京都帝国大学福岡医科大学が初めで、明治44年(1911年)1月1日、九州帝国大学として開学しました。
京都帝国大学福岡医科大学が設置された場所が、今の九州大学 馬出キャンパスの場所なので、馬出キャンパスこそが九州帝国大学の発祥の地になりますね。
馬出キャンパスにもいくつかレトロな建造物が残っています。

●箱崎キャンパスのレトロ建造物一覧表
■■■■■ 九州大学箱崎キャンパスのレトロ建造物一覧表 ■■■■■
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マップNo.
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建物名称
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竣工年
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設計者
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施工会社
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その他
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理X4
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九州大学箱崎キャンパスの正門
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明治44年 (1911年)
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不詳
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不詳
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煉瓦造
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理X5
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九州帝国大学 工科大学 正門門衛所
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大正2年 (1913年)
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倉田謙
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鴻池組
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煉瓦造/平屋建
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理X6
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九州帝国大学 法文学部 本館
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大正14年 (1925年)
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倉田謙
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前面=岩崎組 背面=佐伯工務所
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鉄筋コンクリート造/3階建
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理2
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九州帝国大学 工学部 本館(九州大学 工学部 本館)
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昭和5年 (1930年)
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倉田謙
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清水組
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鉄骨鉄筋コンクリート造/3階建(塔屋は5階建)
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理27
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九州帝国大学工学部仮実験室(九州大学大学本部事務局)
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大正14年 (1925年)
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倉田謙
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佐伯工務所
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煉瓦造/2階建
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理23
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九州帝国大学工学部第二新館
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大正14年 (1925年)
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倉田謙・小原節三
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佐伯組
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煉瓦造/2階建
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理X7
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九州帝國大學工学部応用化学教室(九州大学工学部応用化学教室)
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昭和2年 (1927年)
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倉田謙・小原節三
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佐伯組
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煉瓦造/4階建
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理X8
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九州大学工学部造船学教室実験室
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大正10年 (1921年)
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倉田謙
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岩崎組
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煉瓦造/平屋建
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理X3
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九州大学工学部航空工学教室(航空学教室)
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昭和14年 (1939年)
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島岡春三郎・坪井善勝
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辻組
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鉄筋コンクリート造/3階建・塔屋付
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理20
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九州帝国大学附属図書館(九州大学工学部図書館・工学部食堂)
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大正15年 (1926年)
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倉田謙
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佐伯工務所
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鉄筋コンクリート造/2階建
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理21
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九州帝国大学 法文学部心理学教室(九州大学アドミッションセンター)
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昭和2年 (1927年)
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倉田謙
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不詳
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鉄筋コンクリート造/2階建
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理X1
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九州帝国大学工学部高周波電気及電子工学実験室(九州大学工学部超伝導マグネット研究センター)
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昭和6年 (1931年)
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渡部善一
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大林組
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鉄筋コンクリート造/2階建
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理X2
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九州帝国大学 工学部 河海工学実験室(九州大学 工学部応用物質化学科別館)
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大正14年 (1925年)
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倉田謙
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佐伯工務所
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鉄筋コンクリート造/2階建
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理X9
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九州大学生活協同組合本部(元・第三学生寮)
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昭和3年頃
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不詳
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不詳
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木造瓦葺/2階建
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理56
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九州大学理学部原子核実験室
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昭和19年 (1944年)
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坪井善勝
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不詳
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鉄筋コンクリート造/3階建
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理69
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九州大学熱帯農学研究センター(旧 演習林本部)
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昭和6年 (1931年)
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渡部善一
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清水組
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木造瓦葺/平屋建
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理65
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)農学部6号館(旧農学部農芸化学本館)
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昭和13年 (1938年)
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国武周蔵
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清水組
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鉄筋コンクリート造/3階建
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※ マップNo. の「理xx」は理系ゾーンの番号、「文xx」は文系ゾーンの番号を指しています。

《参考文献》
●九州大学百年の宝物(九州大学創立百周年記念行事で刊行)
●wikipedia(九州大学の建築物)
●その他