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◆◆◆◆◆ 香椎宮の境内社めぐり ◆◆◆◆◆
香椎宮の無料休憩所の横に香椎宮周辺歴史散歩案内という絵地図があります。
これを見ると香椎宮の境内や周辺にはいろいろな神社が多くあることが分かります。香椎宮に祀られている神功皇后、仲哀天皇と関係のある摂社(せっしゃ)とか、直接の関係はない末社(まっしゃ)、あるいは境内社と言われる神社です。
これらの神社を訪れてみます。境内の絵地図を参考に行きましたが、細かい道は省略してあるので、ずいぶん道に迷いました。それで、下記にもう少し細かく書いた地図を掲載しておきます。
もし、散策されるなら参考にしてください。
●香椎宮周辺案内図
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◆ 香椎宮創建当初からあったと云われる弁財天社
◆ 弁財天社そばにある新古今和歌集の歌碑
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香椎宮の境内社等を廻る順番は、まず境内にある弁財天社、早辻神社と、その周辺の石碑などを見て、JR鹿児島本線の踏切近くにある香椎宮の頓宮(とんぐう)。そして参道を香椎宮方面に行きながら
薬師堂(下組)、平野神社、朽瀬神社(くちせじんじゃ)、行啓記念碑 と廻り、香椎宮神殿の北部にある印鑰(いんやく)神社、薬師堂(上組)、高陪(こうべ)神社、
光明院観音堂、報恩寺 少し離れた所にある奥院十三仏、大槇木(おおまきのき)の順にまわります。
上記以外の境内にある武内神社、稲荷神社、鶏石神社、巻尾神社については香椎宮のトップページで紹介したので、このページでは省略します。
まず、最初の弁財天社は入口近くにある菖蒲池の中の島にあります。この弁財天社は香椎宮創建当初から宮の内外にお祭りしてあったと云われる
高良大明神・志賀大明神など香椎宮八所の一つとして古い由緒のある神社らしいのだ。
弁財天は七福人の中の紅一点(女性)であるが、本当は宗像大社に祀られている三女神の一柱である市杵島姫神(いちきしまひめ)が祀られているらしい。宗像大社は航海安全の神様なので
神功皇后の朝鮮半島出兵と関係あるのかもしれません?
境内社めぐり動画 PartT(6分59秒)
境内社めぐり動画 PartU(9分19秒)
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◆ 阿波野青畝の句碑もある
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◆ 末社 早辻神社 御祭神:大伴武以【オオトモ タケモチ】
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◆ 日清戦争の時の征清軍人凱旋記念碑
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◆ 日露戦争の記念碑は蔦(つた)に覆われていた
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◆ 征清軍人記念碑と言うのもある
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◆ 皇紀二千六百年記念碑
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◆ 香椎宮追遠会紀念碑というのもあった
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◆ 軍艦香椎顕彰之碑
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◆ 武内宿禰の像のある石碑
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◆ 扇塚
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◆ 中国風の狛犬(左)
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◆ 中国風の狛犬(右)
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■■■■■ 香椎宮の頓宮(とんぐう) ■■■■■
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● 香椎宮の頓宮 (とんぐう)
香椎宮の頓宮(とんぐう)は香椎宮の参道の入り口にある鹿児島本線の踏切近くにあります。頓宮(とんぐう)は御旅所とも言われ、
神幸祭などで神体を乗せた御輿を一時的に休ませる所です。神殿から頓宮に行く事を「お下り」、神殿に戻ることを「お上り」と言います。
そういう事で普通の日に頓宮(とんぐう)に行っても寂しい限りで、神様もここにはおられない事になります。
そうは言っても、一応香 椎宮の関連施設なので行ってみました。参道の入り口には鳥居があり、鳥居の近くに香椎潟(香椎の干潟)を詠った万葉歌碑というのがありました。
三条実美(さんじょうさねとみ)の筆による万葉歌碑で3首の歌が刻まれています。
いざ子ども 香椎の潟に白たへの 袖さへぬれて 朝菜摘みてむ
師 大伴卿(そち おおとものまへつきみ)
時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟 潮干の浦に 玉藻刈りてな
大弐 小野老朝臣(だいに おののおゆあそみ)
行き帰り 常に吾が見し 香椎潟 明日ゆ後には見むよしもなし
豊前守 宇努首男人(とよくにのみちのくちのかみ うののおびとをひと)
今の頓宮の下は鹿児島本線になっていますが、その昔には頓宮の下はすぐに海だったようです。そこで「朝食の海藻を摘もう」と言ってるのが1番目の歌。
「潮干の浦で美しい藻を刈ってしまおうよ」と言ってるのが2番目の歌、「いつも私が見た香椎潟は、もう明日から後は見るすべもないことだ」と言ってるのが3番目に歌です。
のどかな香椎の潟が目に浮かびます。今は国鉄時代の香椎操車場跡地の再開発の一環として、この近辺の再開発も進んでいます。西鉄貝塚線も高架になり西鉄香椎宮前駅も新しくなっています。
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◆ 香椎宮の頓宮(とんぐう)入口の鳥居
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◆ 頓宮(とんぐう)参道にある万葉歌碑
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◆ 頓宮(とんぐう)
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◆ 明治時代には線路から先は海だったそうだ (頓宮(とんぐう)参道途中から見る西鉄香椎宮前駅方面)
■■■■■ 薬師堂(下組) ■■■■■
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● 薬師堂 (下組)
薬師堂(下組)は参道と香椎線が交わる踏切近くにあります。ここは昔にあった香椎宮を守るために設けられた15寺(香椎宮守護15ヶ寺)のなごりのひとつでした。今は寺はありませんが多くの石仏が並んでおり
薬師如来と観音様を祀っています。地元では一生に一度の願いをかけると叶うと言われています。一生に一度ですから二度かけてはいけません。ここ一番の大勝負だけの願い(ねがい)をかけましょう。
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◆ 薬師堂(下組)は参道の香椎線の踏切近くにある
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◆ 入口にある大きなお地蔵さん
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◆ 薬師堂(下組)の入口
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◆ たくさんの観音像が並ぶ薬師堂(下組) (薬師堂の中には2体の薬師如来像が安置されている)
◆ 薬師堂の中の薬師如来像
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◆ 薬師堂の中には2体の薬師如来像
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◆ たくさんの観音像
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■■■■■ 平野神社 ■■■■■
◆ マンションの駐車場の一角にある平野神社
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◆ 平野神社 (御祭神は仁徳天皇)
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■■■■■ 朽瀬神社 (くちせじんじゃ) ■■■■■
◆ 朽瀬神社(くちせじんじゃ)
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◆ 御祭神は武内大臣の子の羽田矢宿禰
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■■■■■ 行啓記念碑 ■■■■■
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● 行啓記念碑 (ぎょうこうきねんひ)
貞明(大正)皇后陛下が1922(大正11)年3月に香椎宮に参詣された記念碑。
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◆ 行啓記念碑(ぎょう こうきねんひ)
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◆ 草に埋もれている茶道記念碑
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■■■■■ 印鑰神社 (いんやくじんじゃ) ■■■■■
◆ 住宅街の一角にある印鑰(いんやく)神社
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◆ 印鑰神社の御祭神は武内大臣の子、蘇我石川宿禰
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■■■■■ 薬師堂(上組) ■■■■■
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● 薬師堂 (上組)
薬師堂(上組)は香椎宮神殿の北部に位置した住宅街の中にあります。香椎宮守護15ヶ寺のなごりの地であるらしいが、
いつの時代にできたのかの情報は把握していません。たぶん江戸時代からあったものと推測します。
薬師堂の中には中央に薬師如来、左右に大日如来と観世音菩薩と3体の仏像が祀られています。
そして外にはたくさんの観音像がならび端に閻魔(えんま)堂があり怖い顔の閻魔(えんま)様が祀られています。
観音様とかを祀る意味は分かりますが、怖い閻魔(えんま)様を祀るのはどういう意味があるのでしょうかね?
ちょっと閻魔(えんま)様について調べてみまたら、仏教ではお地蔵さまの化身と云われているようです。怖い顔の閻魔様とお地蔵さんが同じとは思えませんが、
仏教界ではそういう事らしい。
再び罪をつくらせない為に恐ろしい顔で叱咤しているらしいのです。
そして死んで地獄に行った人間は閻魔大王を含む十人の王の法廷に順繰りに引き出され、そこで生前の行いを審査され裁判されるそうです。
十王の五番が閻魔大王、その前に置かれた鏡には死んだ人の生涯が映し出されるという仕組みのようです。
で、閻魔様を祀るのは再び罪をつくらせない為でしょうか? それとも地獄に行ったらよろしく・・・・という事ですかね?
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◆ 薬師堂(上組)
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◆ 薬師堂(上組)の閻魔(えんま)様
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◆ 薬師堂(上組)の御堂の中
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◆ 薬師堂(上組)には薬師観音や千手観音などたくさんの観音像が並んでいる
■■■■■ 高陪神社 (こうべじんじゃ) ■■■■■
◆ 武内屋敷跡の北西にある高陪(こうべ)神社
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◆ 武内大臣の子孫を祀っている
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◆ 新しい祠の裏には古い石板が立っている
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◆ 香椎武内家姑祖 大膳紀宿禰氏連命と書いてある
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◆ 天平勝宝六年(西暦754年)の字も見える
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■■■■■ 光明院観音堂 ■■■■■
◆ 荒れている光明院観音堂
◆ かなりりっぱな観音堂なのに・・・
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光明院観音堂は香椎宮神殿の北西部の丘の上にあります。参道の入り口は閉鎖した医院のような建物の横の蘇鉄の下が入口になっています。北側からも行く事はできます。
りっぱな観音堂を想像して行きましたが、寺は荒れており境内は畑になっていました。
正面から見る屋根は往時をしのばせるりっぱな屋根ですが、横に廻って見ると屋根は破れて雨漏りがする状態でした。はやく修理しないと観音堂の本体まで腐ってしまいそうです。
入口から観音堂の中を覗くと扇風機が置いてあり、人は出入りしている感じはします。
外には祠がいくつかあり花も供えてあり、石仏の前掛けも新しいようなので参拝者もあるようです。
この寺の情報はまったく把握していません。インターネットにも無いようです。この地域の寺(観音堂)として近年まで崇敬を受けてきたと思われますが、
どうしたのでしょうかね?
なお、この観音堂は香椎宮境内の絵地図には載っていないので、香椎宮関連の寺院(境内社)ではないようです。
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◆ 観音堂内部
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◆ 壊れている屋根。早急な修理が必要だが・・・
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◆ 境内には祠がたくさんある
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◆ 仏様の顔は健やか ※カーソルON!
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◆ 人通りの少ない参道にも花が咲く
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◆ 南の参道の入口は閉鎖した医院らしき所の左
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■■■■■ 建久報恩寺(けんきゅうほうおんじ) ■■■■■
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● 建久報恩寺 (けんきゅうほうおんじ)
建久報恩寺(けんきゅうほうおんじ)は香椎宮の神殿の裏(西の方向)にあります。
日本禅宗の始祖栄西禅師が建久3年(1192年)に開いた寺でわが国最初の禅寺。
寺の入口には大きな木があり、落ち着いた佇まいをしています。入口から入ると右に わが国最初の禅寺「建久報恩寺」の跡の石碑が立っています。
また、栄西禅師は1190年に宋の天台山にあった菩提樹(ぼだいじゅ)を香椎宮に送りました。これが日本に初めて伝来した菩提樹だと言われています。
その菩提樹の木がここから全国に広まったそうです。日本における菩提樹の木の元祖はここと言う事になりますね。
当時の菩提樹の木はありませんが、それを記念して境内に菩提樹の木が植えてあり「日本最初の菩提樹」のカンバンがあります。厳密に言うと「日本最初の菩提樹の木の子孫」
と言う事だと思います。
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◆ 香椎宮の裏の住宅街の外れの こんもりした林の中にある建久報恩寺(けんきゅうほうおんじ)
◆ 入口に大木がある
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◆ 落ち着いた佇まいの報恩寺の入口
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◆ 大木の下には石仏や石塔がある
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◆ 入口に御堂がある
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◆ わが国最初の禅寺「建久報恩寺」の跡の石碑
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◆ 御堂の中 (ガラス越しなので後ろの景色が映り込んだ)
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◆ 1190年宋の天台山にあった菩提樹を栄西が香椎宮に送りました。日本最初の菩提樹を記念して植えられている菩提樹
◆ 報恩寺の本堂
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◆ 本堂の中
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◆ 境内には石塔などがある
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◆ これは何の碑なのだろう?
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■■■■■ 奥院十三仏 ■■■■■
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● 奥院十三仏
香椎奥院十三仏は香椎宮の東の山の中にあります。香椎宮にある香椎宮周辺歴史散歩案内という絵地図を見て探しましたが、
まったく分かりませんでした。人に聞いても「知らない」という返事ばかり、4人目の地元の農家の方に聞いて初めて分かりました。
その場所は香椎宮周辺案内図に記載しています。東の端に近い位置にあるのが奥院十三仏の場所です。
香椎宮の裏に行くと丘の上に新興住宅地(香椎台)がありますが、その住宅地の向こう側です。まさか住宅地(香椎台)の向こう側にあると思わなかったので、手前を1時間ばかり探しました。
住宅地(香椎台)のバスが通る大通りの先から下りた一番低い位置に入口があります。奥院十三仏入口という木の札も立っています。そこから300mばかり行った場所に奥院十三仏はあります。
途中の道は少し寂しい道なので一人で行くには若干の勇気がいります。
十三仏と一体の不動明王が並んでいます。正確には不動明王を入れると十四仏と言う事になります。石仏はどれも端正な顔をしており、かすかに光のあたった顔は神々しさを感じます。
石仏はそんなに古い物ではありません。なんでも戦前に作られた八十八霊場の名残りだそうです。
現地に「十三仏奉納者名台」という石碑が立っており、裏を見ると昭和7年4月の字が見えます。その頃にできたものと思われます。
しかし、なんで、こんな辺鄙(へんぴ)な場所に作ったのでしょうかね? もっと住宅に近い、参拝し易い場所はあったと思うのですが・・・・・まあ、それも修行のひとつですかね?
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◆ 奥院十三仏への入口は分かり難い所にある
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◆ 入口から林の中を約300m歩く(約10分)
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◆ バショウの木の奥に十三仏がある
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◆ 十三の石仏と一体の不動明王
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◆ 昭和7年にできたと思われる奥院十三仏
◆ 左から文殊菩薩、釈迦如来、不動明王と
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◆ いろいろな菩薩や如来の仏像が並ぶ
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◆ 「十三仏奉納者名台」と歓喜双身天尊
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◆ 猿田彦大神、豊受大神
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■■■■■ 大槇木 (おおまきのき) ■■■■■
◆ 香椎宮奥のおいの山公園にある香椎宮の神木大槇木
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◆ 大きな幹が折れている(樹齢は約4千年)
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◆ 大槇の下にある「山神」の石碑
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◆ おいの山公園
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◆ この近辺には室町〜戦国時代に御飯ノ山城があった
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◆ 近辺は新興住宅団地の香椎台
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◆ 動画 PartT(6分59秒)
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◆ 動画 PartU(9分19秒)
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