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福岡県北九州市八幡西区堀川町1番1号
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◆◆◆◆◆ JR折尾駅 (おりおえき) ◆◆◆◆◆
JR折尾駅は1917年(大正6年)にできた洋風(ルネッサンス様式)の木造駅舎で北九州市では門司港駅の次に古い駅舎です。
この駅の設計は東京駅を設計した「辰野金吾」だと言われています。駅史では設計は辰野金吾氏の長男の辰野隆(ゆたか)氏になっているが、
辰野隆(ゆたか)氏はフランス文学者で建築とは関係のない人なので、「辰野金吾」が設計して長男の名前を設計者に残したと考えられています。
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◆ JR折尾駅は1917年(大正6年)にできた洋風の木造駅舎(ルネッサンス様式)で、日本最古の立体交差駅です
◆ 古い柱が2本あり1本は周りがベンチになっている
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折尾駅は日本初の立体交差駅として有名です。鹿児島本線と筑豊本線がアンダークロスし、両線のホームが1階と2階で重なる立体交差駅となっているのです。
そして、約 150m離れた場所に福北ゆたか線の折尾駅鷹見口(6,7番ホーム)があります。
● 折尾駅時刻表
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◆ 2本の柱が駅舎の古さを語っている
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◆ 数万人の人が利用したであろうベンチ
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◆ 「かしわめし」の販売で有名な東筑軒の売店と古い柱
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◆ 名物の「かしわめし弁当」650円〜
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◆ 中央奥の筑豊本線と手前の鹿児島本線が交差する
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◆ 右が1番ホーム、左が2番ホーム(筑豊本線)
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◆ 西口は1988年に開設された
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◆ 1、2番ホームは筑豊本線のホーム
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◆ 1番ホームにはJR職員専用の床屋
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◆ 右から順に鹿児島本線の3番、4番、5番ホーム。カーブして見通せないので安全はカメラのモニターで行う
◆ 3番ホームの上屋は古い木造でできている
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◆ 4、5番ホームの上屋は古いレールが使用されている
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◆ ホームで弁当の立ち売りが行われている
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◆ 4、5番ホームに行く通路はレンガ積みの造り
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◆ 3番ホームにのみエレベータがあります
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◆ 3番ホームにのみキヨスクと食道がある
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◆ 3番ホームにある待合室
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◆ 3,4,5番は鹿児島本線のホーム
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◆ 安全はカメラのモニターで確認する
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◆ 本駅から約150m離れた位置にある折尾駅鷹見口
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◆ 結構、利用客が多い折尾駅鷹見口(6,7番ホーム)
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◆ 駅前広場は狭く無断駐車も多いので、バスの通行にも支障をきたす時がある
◆ 駅舎の上にある車輪のマーク
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◆ 駅の隣にある食事処
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◆ 駅前広場の脇にある裸婦像
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◆ 駅周辺にはレンガ積みのアーチ橋がいくつかある
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◆ 3連のアーチ橋もある(西日本鉄道折尾高架橋)
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◆ 西日本鉄道折尾高架橋は坑内の煉瓦が斜めに積まれる「ねじりまんぽ」という特殊な構造で出来ている
◆ 183年の歳月をかけて掘られた堀川運河と奥は折尾駅
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◆ 堀川運河が近代化産業遺産に認定されたようだ
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《西日本鉄道折尾高架橋》
JR折尾駅の近くにある西日本鉄道折尾高架橋は1914年(大正3年)に造られた3連の煉瓦造りのアーチ橋です。
このアーチ橋の1連だけがアーチ坑内の煉瓦が斜めに積まれる「ねじりまんぽ」という特殊な構造で出来ています。
この「ねじりまんぽ」というレンガ積みの方法はめずらしいもので、日本に30〜40くらい(たぶん?)しか例がないようです。
なぜ、「ねじりまんぽ」というレンガ積みを行うかと言えば、橋の上を通る鉄道や道路などと、川や道などの通路が直角でなく、斜めに交差するときに、
このレンガ積みが使用されるようです。この方が力学的に良いのだと思います。この橋は現存する「ねじりまんぽ」の橋では日本最大級です。(近代化産業遺産)
なお、福岡県で「ねじりまんぽ」があるのは福岡県田川郡香春町 日田彦山線の一般道にかかる欅坂橋梁(けやきさかきょうりょう)と、ここの2か所だけのようです。
《堀川運河》
堀川運河は北九州市の楠橋から中間市、水巻、八幡西区の折尾を通って洞海湾まで続く全長 12.1Kmの運河です。つまり人間が造った人工の川です。
この運河は、およそ400年前から福岡藩により遠賀川の堤防の大改修工事にあわせて、遠賀川の水を分けて洞海湾に流し、遠賀川下流一帯の新田開発や洞海湾一帯の干拓工事を
行うという、とても壮大な計画のもとに始められたものです。
この運河は1621年に第1期工事が始まり、第2期工事、第3期工事、第4期工事が1804年に終わり、これで一応完成しました。運河の全長は 約12Km で、完成までに183年間かかりました。
当時の人々は遠賀堀川のことを「宝川」と呼んだそうです。この運河は米作りの用水、飲み水や川船による水運にも使われる宝物のような川だったのです。
潅漑用水で潤った田畑は約480ヘクタールで、当初は年貢米や材木・雑貨等を運んでいましたが、明治時代からは、筑豊の石炭増産で
重要な石炭の輸送路になりました。しかし、1891年(明治24年)に若松〜直方間の筑豊線、1908年(明治41年)香月線が開通し、蒸気機関車による大量輸送には太刀打ちできず、
「川ひらた」という船を使った水運は姿を消したのです。
折尾駅の夜景を撮影するまでに時間があったので、上のポスターの写真の「堀川車返しの切り通し跡」まで運河沿いを歩いて行ってみました。
折尾駅から「しんしん堀川」の上流に向かって、約 1.5Kmくらいでしょうかね? けっこう遠かったです。
途中には ◆古いレンガ造りの倉庫があったり、◆「三好セキ女史頌徳碑(しょうとくひ)」があったりします。この「三好セキ女史頌徳碑(しょうとくひ)」の三好セキさんはなにをした人かと言うと、
セキ女史は岐阜県の生まれで、炭鉱経営者(三好鉱業)の三好徳松氏と結婚しました。遠賀郡内に女子中等教育を行う学校の必要性を感じ、大正7年に私財を出して私立折尾高等女学校(現在は県立折尾高等学校)を設立した人です。
そして大正15年に私立折尾高等女学校は敷地、建物などすべて県に譲渡されました。
その後、セキ女史は、夫の徳松氏が亡くなると、周囲の反対を押し切って三好鉱業を日本炭鉱に売却し、会社の株式、広大な土地などの不動産をすべて処分し、
夫の三好徳松氏の名義で次々と公共に寄付しました。その後、福岡市に移り住み昭和33年に81歳で他界しました。・・・・・・うーん、なんと欲の無い、りっぱな人だと感心しますね。
◆「堀川車返しの切り通し跡」は、この堀川で一番の難工事であった場所です。ここは
「車返し」という高さ約20m、長さ約400mのかたい岩山をけずる工事でした。この場所の工事は、石工(いしく)という石工事の専門家が担当しましたが、
2時間もすると道具の刃(は)がだめになったため、鍛冶屋(かじや)がやとわれ、車返しに鍛冶場(かじば)をつくったほどです。
工事を始めてから7年後の1757年(宝暦7年)にようやく車返しの切り通し(きりとおし)が貫通(かんつう)しました。しかし、横はばがせまいため、これを広げる工事が行われ、さらに、
則松川へとつなぐ工事がすすめられ、1762年(宝暦12年)にようやく堀川は洞海湾(どうかいわん)まで通じたのです。今も「堀川車返しの切り通し跡」の岸壁にノミの跡が残っています。
※ 「堀川車返しの切り通し跡」の記述は堀川の歴史と文化(北九州市)を参照しました。
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◆ 堀川運河傍にある煉瓦倉庫
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◆ 延々と続く堀川
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◆ 途中にあった三好セキ女史頌徳碑
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◆ 「堀川車返しの切り通し跡」※ 水量も少なく昔の恩影はないが、崖の断層の切れ目がポスターの写真と同じだ
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◆ 雨降りの夜景もなかなか風情があって映画の一場面のようです。 ※ 別角度からのビッグパノラマ写真
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《 折尾駅乗客案内係 神(ジン)君 》
折尾駅で乗客案内係を行っている神(ジン)君は中学2年生です(2009年1月時点)。
彼は鉄道が好きで小学2年生より、列車を見に折尾駅に来ていたそうです。そして小学4年生から案内係をボランティアで行っています。
この折尾駅は立体交差の駅だけにホームが複雑で、乗り換えには戸惑う客も多いようです。それに一度改札口を出て約150m行った場所に6、7番ホームはあるので、
初めてのお客様は迷うと思います。
そういうお客様を見ると神(ジン)君は「どちらに行かれますか?」と声をかけて案内しているのです。また、神(ジン)君は独自に収集した時刻表などの情報ファイルを携えて、乗り換えの時刻なども
的確に応えてくれます。彼がいつも持っている青いファイルが独自に収集した情報ファイルです。パソコンのエクセルとワードはできると言っていました。
通常は土日だけ折尾駅に来ており、夏休みや冬休みなど学校が休みの時は2日に1度くらいの間隔で来ていると言っていました。朝の6時から17時頃まで折尾駅にいるそうです。
普通は鹿児島本線の上りが到着する4,5番ホームと改札口近くにいるようです。おなじく4,5番ホームで駅弁を売っているおじさんと仲が良いようで、よく話をしています。
なお、余談ですが、最近では珍しい駅弁の立ち売りを行っているのは、九州では、ここ折尾駅と人吉駅だけで、
ここ折尾駅の駅弁「かしわめし弁当」は全国的に人気のある駅弁です。
折尾駅弁(かしわめし弁当)は八幡・黒崎・赤間・東郷・福間・若松・直方の各駅の売店でも販売されていますが、これらの駅では立ち売りは行っていません。
2008年11月28日のNHK(地上波再放送)/熱中時間「鉄分補給スペシャル3」で多くの「鉄道ファン」が出演していましたが、そこで「ホームレスキュー中学生」として神(ジン)君の事を放映していました。
(それ以前にも民放のテレビ番組にも出たようです) テレビ出演以来、神(ジン)君は有名になり今年の正月は年賀状がいっぱい来たと
神(ジン)君は言っていました。そして宅急便も来たらしいです。「宅急便って?」 中身は鉄道グッズだったようです。「いろいろ集めてたけど、いらなくなったのであげる。」と言って送ってきたようです。
神(ジン)君は喜んでいました。
なお、神(ジン)君の夢はJR折尾駅の職員になり駅長になることです。・・・・・・うん、職員は間違いなくなれると思います。駅長にもなれます。きっと!
● 神(ジン)君のブログはここ
※ 写真等のHP掲載は神(ジン)君の了解を得ています。
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◆ ボランティアで乗客案内係を行っている神(ジン)君
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◆ 困った人を見つけると駆けつける神(ジン)君
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◆ 駅弁売りのおじさんと仲が良いようだ
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◆ 独自に収集した情報を携えている
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◆ 時間があれば掃除も行う
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◆ 神(ジン)君がデザインしたスタンプ
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◆ 再開発の工事は開始されている(2009/1/11撮影)
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《折尾駅の取り壊しについて 》
駅周辺の総合的再開発(折尾地区総合整備事業)は、
折尾駅を中心に、鉄道の立体化・幹線道路整備・面整備を複合的に行うことにより、交通渋滞の解消と交通安全の確保、住環境の改善、まちの一体化と回遊性の確保とともに、駅舎の統合、北側駅広新設による交通結節機能の強化を考えています。
この計画では筑豊本線・短絡線の2線を西側に約300m移設・立体化することで、3線すべてが高架2階レベルで整備され、駅舎が統合でき、乗り換え利便性が向上すると共に、幹線道路や駅前広場の効率的な整備が可能となるようです。なお折尾地区総合整備事業は平成31年度までに完了予定です。
折尾地区総合整備事業の一環で折尾駅舎は2009年度にも取り壊しが予定されており、地元住民や学識者らでつくる「おりお未来21協議会」歴史的建造物部会などが、折尾駅舎の保存運動などを行っていますが、すでに駅舎は壊されることが、ほぼ決定された後だけに、JRは駅舎の保存に消極的なようです。
(2009/01/13 記載)
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◆◆◆◆◆ 鉄道関連ページ(よかとこBY) ◆◆◆◆◆
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[ 北九州市の魅力が満載♪ ふるさと納税 福岡県北九州市 特産品 返礼品 ]
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