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山口県下関市大字彦島字船島648番地
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◆◆◆◆◆ 巌流島(がんりゅうじま) ◆◆◆◆◆
 慶長17年4月13日(西暦1612年5月13日)に宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した事で有名な巌流島(がんりゅうじま)は本州(下関市彦島)から約400m離れた関門海峡内にあります。※決闘の日については諸説あります。

 この島の正式な名前は船島というようだが、佐々木小次郎の流儀「巌流」をとって通称「巌流島」と言われています。この地方では決闘に勝った武蔵より負けた小次郎の方が人気があるようです。

 巌流島に渡るには3つのルートがあります。もっともポピュラーなルートは門司港レトロ内桟橋および下関の唐戸桟橋から 関門汽船の巌流島行き渡船で行く方法です。
それと土日祝の運行だけですが(株)チャレンジの黄色い遊覧船で行く方法もあります。これらの詳細は公式ホームページをご覧ください。

 ちょっとマイナーな方法ですが下関の彦島江の浦桟橋から瀬渡船で行く方法もあります。
今回は 関門海峡花火大会を見学する目的で巌流島に行くので江の浦桟橋から瀬渡船で行きました。 と、言うのは上記の関門汽船や(株)チャレンジの船は最終便が16時40分なので花火大会が始まる前に帰らないといけないからです。

花火大会の日くらい最終便を21時30分頃にしろよ! と思うのですが、そうはなっていません。普通どおり16時40分が最終便なのです。
推測ですが、たぶん夜間に連絡船を運行するには照明やレーダーなど、それなりの設備が必要なのでしょうね。そういう設備がないと夜間の運行許可が下りないものと思われます。

その点、下関の江の浦桟橋からの渡船(森造船)は定期航路でなく瀬渡しという事になっているのでしょうね(想像)、だから船の設備等々の制約はなく、漁船と同じで夜間も自由に運行できるのだと思います。 一応23時まで運行しているようです。
この渡船(瀬渡し船)は予約制になっていますが、現地に着いて電話(携帯電話:090-8605-3922)することでOKです。電話すると船頭が自転車で来てくれます。お客1人でもいいそうだ。無料駐車場もあります。
渡船(瀬渡し船)の定員は12名で小さな船です。屋根もないので冬は寒いかもしれません。江の浦桟橋から3〜4分で巌流島に着きます。岸から約400mと言いますから目と鼻の先という感じです。

 今回、巌流島で関門海峡花火大会を見物しましたが、定期便の連絡船の最終便が終わった17時頃から島はガラガラ状態になります。 渡船(瀬渡し船)の船頭の話では今日は約200人運んだと言っていましたが、感じとしては結構広い島に100人いるのかな? という感じでした。
島の北部の海岸から花火が良く見えますが、海岸の50mに10人程度がパラパラといる感じです。花火大会もゆっくり、ゆったり見物できます。
花火見物で島に渡る人は昼ごろからパラパラ行きますが、帰りは一斉に帰りますから、渡船(瀬渡し船)は大混雑となります。船はピストン輸送しますが、一度に運べる人数は定員の12名ですから、 宿泊のキャンプをする人を除いて約180名運ぶのに何回往復しなければいけないか計算できると思います。ちなみに1往復は8分から9分かかります。最大で2時間15分程度待つ事になります。 渡船(瀬渡し船)は1隻ですから、しかたないですね。
そんなに待つのはいやだ。と言う人は花火が終わる5分くらい前から桟橋に並んでおくか、桟橋の近くで見て、花火が終わるとすぐに桟橋に駆け込むと早く帰れそうです。でも、花火って最後がいいんですよね・・・・・ここが思案のしどころですね。

巌流島案内図

動画案内(約10分)

※ この情報は 2011/8/13 時点の情報です。変更になるおそれがありますので自己責任でご利用ください。

 
 


◆ 高さ153mの海峡ゆめタワーから望む巌流島(がんりゅうじま)
高さ153mの海峡ゆめタワーから望む巌流島(がんりゅうじま)


 ◆ 門司港と下関から連絡船が出ている(門司港にて)
巌流島へは、門司港と下関から連絡船が出ている(門司港にて)

 巌流島(がんりゅうじま)は島の相当部分が公園化されており人工海浜や多目的広場が設けられています。島の周囲は 約1.6kmで約30分程度で一周できます。

 島内の一番の人気スポットは小次郎・武蔵 像ですね。多くの観光客が像の前で記念写真を撮っていました。それ以外に「舟島神社」、「佐々木巌流之碑」、「巌流島文学碑・決闘の地木碑」  “この島に 二人降り立ち 闘ひし 昔の男  恋ほしかるかな” と刻んだ「森重香代子歌碑」などがあります。

 島内にはトイレや休憩所、多目的広場にステージ、バーベキューサイトなどがあり整備されていますが、売店や自動販売機などはありません。長い時間滞在する人は飲み物や食べ物は十分用意していく必要があります。
大小さまざまな船が行き交う関門海峡の雄大な景観を眺めつつ潮風に吹かれながら散策道を歩くのも、なかなかいいものです。

◆ 下関の彦島江の浦桟橋から瀬渡しもある ※場所はここ
下関の彦島江の浦桟橋から瀬渡しもある。巌流島渡船(森造船)TEL083-266-1009
 ◆ 12人乗りの漁船で島まで3分で連絡(往復1000円)
12人乗りの漁船で島まで3分で連絡(往復1000円)

◆ 渡船の連絡先はTEL 083-266-1009 (090-8605-3922)
渡船の連絡先は TEL 083-266-1009 (携帯090-8605-3922)
 ◆ 無料駐車場もある(船頭が案内してくれる)場所はここ
無料駐車場もある(船頭が案内してくれる)場所はここ

 ◆ 港を出るとすぐ前が巌流島(約3分で連絡)
港を出るとすぐ前が巌流島(約3分で連絡)
 ◆ 巌流島にはりっぱな浮桟橋もある
巌流島にはりっぱな浮桟橋もある

 ◆ 関門汽船の巌流島行き渡船「伊織」が接岸中
関門汽船の巌流島行き渡船「伊織」が接岸中
 ◆ 手前が乗ってきた乙女丸。後方には下関市彦島
手前が乗ってきた乙女丸。後方には下関市彦島

 ◆ (株)チャレンジの黄色い遊覧船フロンティアも接岸
(株)チャレンジの黄色い遊覧船フロンティアも接岸
 ◆ 巌流島に上陸。小さいようだが歩くと結構広い
巌流島に上陸。小さいようだが歩くと結構広い

 ◆ りっぱなトイレもある
りっぱなトイレもある
 ◆ 休憩所も4か所にある(急な雨でも大丈夫)
休憩所も4か所にある(急な雨でも大丈夫)

 ◆ 船着き場近くにある舟島神社
船着き場近くにある舟島神社
 ◆ 明治43年に建立された佐々木巌流之碑(墓ではない)
明治43年に建立された佐々木巌流之碑(墓ではない)

 ◆ 巌流島文学碑・決闘の地木碑
巌流島文学碑・決闘の地木碑。村上元三作『佐々木小次郎』の一節が刻まれた舟をイメージした碑「白い雲のわいている空に、小次郎の面影が見える。この後も、絶えず兎禰の眼に浮んで消えることのないであろう小次郎の生きている面影があった」
 ◆ 高さ153mの海峡ゆめタワー
高さ153mの海峡ゆめタワー
 ◆ 本州と九州を結ぶ関門橋(橋長:1068.0m)
本州と九州を結ぶ関門橋(橋長:1068.0m)

 ◆ 森重香代子歌碑
森重香代子歌碑…この島に 二人降り立ち 闘ひし 昔の男  恋ほしかるかな
 ◆ 島内は整備されており散策道がある
島内は整備されており散策道がある

◆ 展望広場の小次郎・武蔵 像 「小次郎像(2002年12月11日除幕)、武蔵像(遅れて2003年4月14日除幕)」
展望広場の小次郎・武蔵 像 「慶長17年4月13日(西暦1612年5月13日)に決闘したことになっているが諸説ある」

◆ 佐々木小次郎(年齢は18歳から50歳以上と諸説ある)
佐々木小次郎(年齢は18歳から50歳以上と諸説ある)
 ◆ 宮本武蔵(決闘時が慶長17年なら年齢は28歳くらい)
宮本武蔵(決闘時が慶長17年なら年齢は28歳くらいだった)

 ◆ 決闘の地を思わせる人工海浜
決闘の地を思わせる人工海浜
 ◆ 武蔵が乗ってきた小舟の模型
武蔵が乗ってきた小舟の模型

 ◆ 島の南端に続く散策道
島の南端に続く散策道
 ◆ 島の北東海岸の散策道
島の北東海岸の散策道




◆ 島の北東側からは関門橋などが良く見える
島の北東側からは関門橋などが良く見える

◆ 関門海峡を行きかう船 (豪華客船 飛鳥Uが関門橋下を通過中)
関門海峡を行きかう船 (豪華客船 飛鳥Uが関門橋下を通過中)

◆ 海峡ゆめタワーと日本クルーズ客船が運行するパシフィック ヴィーナス(Pacific Venus)
海峡ゆめタワーと日本クルーズ客船が運行するパシフィック ヴィーナス(Pacific Venus)

◆ 【門司港】展望室のある高層マンション「レトロハイマート」と関門海峡ミュージアム「海峡ドラマシップ」付近
【門司港】展望室のある高層マンション「レトロハイマート」と関門海峡ミュージアム「海峡ドラマシップ」付近

◆ 対岸の門司港の車や列車も見える
対岸の門司港の車や列車も見える

 ◆ 対岸の門司港を望む
対岸の門司港を望む
 ◆ 渡船(森造船)は23時まで運行
巌流島渡船(森造船)は23時まで運行
 ◆ 巌流島動画 (約9分)
巌流島 動画案内(詳細版 約10分)

◆ 巌流島から見る関門海峡花火大会 ※ 2011/8/13 撮影
巌流島から見る関門海峡花火大会


 
 

◆◆◆◆◆ 武蔵と小次郎の決闘 ◆◆◆◆◆
 武蔵と小次郎の決闘は 一般的には慶長17年4月13日(西暦1612年5月13日)に行われた事になっていますが、これは安永5年(1776年)に熊本藩の細川家の筆頭家老で八代城主でもある松井家の二天一流兵法師範の豊田景英が著した 宮本武蔵(新免玄信)の伝記である二天記(にてんき)に記載されている決闘の日であり他の資料より信憑性が高いと言われています。 この二天記(にてんき)を原資料として明治42年(1909年)熊本の宮本武蔵遺蹟顕彰会編纂による『宮本武蔵』通称『顕彰会本』が書かれ、小説『宮本武蔵』を記した吉川英治さんも『顕彰会本』を参考にしたそうです。

 吉川英治さんの小説『宮本武蔵』では武蔵はわざと決闘に遅れて行き、“遅いぞ武蔵”と、いらいらしていた小次郎が刀の鞘を海に捨てて、さあこい! と言った時に、“小次郎負けたり!”、“勝つ身であれば、なんで鞘を投げ捨てる”と言い、 いらだつ小次郎を一層追い込み、平常心を失った小次郎に見事に勝ったという話です。

 この決闘が行われ武蔵が勝ったのは事実であるようですが、巌流島の決闘当時、細川藩家老で門司城代であった沼田延元が残した記録を子孫がまとめたものである『沼田家記』に興味深い記録が残っています。 次のように書いてあるそうだ。・・・弟子は一人も連れて参らぬことに決まり試合を致しましたが小次郎は約束通り弟子は一人も参りませんでした。武蔵の弟子達は島にやって来て隠れており、 決闘の後、息を吹き返した小次郎を武蔵の弟子達が集まってきて打ち殺してしまいました。・・・・と書いてあるそうだ。
これが本当なら武蔵は卑怯者だ。
この本の信憑性はかなり高い、なぜなら決闘の後、武蔵はその日の内に現在の大分県の中津方面に逃走し以後20余年間の足取りは不明なのです。 これは小次郎側の仕返しを恐れ姿を隠したのではないかと言われています。

 それから20余年後武蔵は「自分は日本一の剣客であることを強調し、ぜひ召抱えて欲しい」と全国の大名に手紙を送りましたが、ほとんど無視されました。 武蔵の剣法は喧嘩剣法であり高くは評価されていなかったようです。しかし唯一熊本細川藩の細川忠利から「召抱えてもよい」という返事が来て、武蔵は寛永17年(1640)に熊本に来ました。このとき武蔵は57歳でした。
熊本で自ら創始した二天一流兵法を大成して『兵法三十五ヶ条の覚書』『五輪書』などを著し、茶や禅、書画製作の日々を送り、熊本に来て5年、正保2年(1645)に62歳の生涯を閉じました。

 宮本武蔵の自伝的な著作『五輪書』では生涯66回決闘をし負けた事がないと誇らしげに自慢していますが、巌流島での決闘や、その前に京都で行った吉岡一門との決闘(これも当時には武蔵が負けたという噂があった)などは書いていないそうだ。 両方とも武蔵の名声を上げた試合だったはずだが一切ふれていないのはどういう事だろうか? たぶん、後味の悪い、あまり思い出したくない決闘だったのではないだろうか?

 巌流島は山口県の下関の彦島の沖にあります。武蔵と小次郎が決闘したのは小倉藩がお膳立てした決闘なのに、なぜ毛利藩(今の山口県)の島で行ったのか疑問だったが、 決闘が行われた江戸時代には巌流島は小倉藩の領土で小倉側では向島、下関側では舟島と呼ばれていたそうだ。現在は山口県下関市に属しており、正式名称を船島といいます。
なお、決闘が行われた当時の巌流島は今の巌流島の 1/3 くらいだっそうだ。その後に埋め立てられ大きくなったようです。

◆◆◆◆◆ 謎の佐々木小次郎 ◆◆◆◆◆
 吉川英治さんの小説『宮本武蔵』では周防国岩国(現山口県岩国市)の出身で錦帯橋の下で必殺技の燕返(つばめがえし)しが編み出されたとしていますが、その錦帯橋は巌流島での決闘の60年後に作られているので、 どうも吉川英治さんの創作のようです。

 実のところ佐々木小次郎がどこの出身で何者であったのか、はっきりとは解明されていません。そもそも「佐々木」という名字であったのかも定かでありません。 定かな事は細川藩の剣術指南役であった小次郎という人物がいて巌流島で武蔵と決闘し負けた事くらいです。

『武公伝』や『丹治峰均筆記』には巌流島の決闘は敵討ちと書いてあり、江戸時代の浮世絵にも巌流島の決闘は武蔵の父親の敵討ちとして描かれ、小次郎も鬼のような顔をした年寄りです。
また、『武公伝』では越前一乗谷の生まれの富田勢源の弟子の小次郎が師に勝って巌流を開いたとき18歳だったとあり、富田勢源の弟子が正しいなら決闘した時の小次郎は80歳くらいになるはずが、 どういうわけか18歳になってしまった。18歳ではなくて78歳で1と7を間違えたのではないかとも言われています。

 小次郎は諸国を武者修行の末、小倉城下で道場を開き、二千人の門弟を抱えるまでに至り細川藩の剣術指南役までになった人物なので、 常識的に考えると40歳前後だったのではないかと思います。当時いくら剣客でも18歳で藩の剣術指南役にはなれないと思います。30歳でもちょっと無理ですね。やはり40歳前後が妥当な年齢だと思います。
今、残っている佐々木小次郎の美剣士のイメージは明治以降の小説などにより定着したもののようです。

 
 

  巌流島から見る関門海峡花火大会へ行く


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