|
◆◆◆◆◆ 一宮神社(北九州市) ◆◆◆◆◆
一宮神社(いちのみやじんじゃ)はJR黒崎駅の南西方向に約1キロ行った所にある山寺地区に鎮座する神社です。
毎年7月に開催される黒崎祇園山笠は黒崎地区の岡田宮、春日神社、一宮神社に奉納されますが、その中にある一宮神社です。
●一宮神社の由緒(現地案内版より転載)
一 由緒
この地方の氏神、王子神社、大歳神社、諏訪神社の三社を昭和25年6月吉日に合祀し、社号を一宮神社と称します。
王子神社は神武天皇が日向の国より東征の途上、筑前のこのところにおいでになり、一年間政務をみられた宮居の地で、
境内には古代祭場等、考古学的にも貴重な跡があります。
大歳神社は三代実録や続風土記にも表れている古くてかつ由緒深い神社であります。
諏訪神社は花尾城主麻生氏が信州の諏訪神社を御手洗池のほとりに分祀、厚く祭られた神社であります。
一 祭神
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと) 神武天皇(じんむ)(元 王子神社)
大歳神(おおとし) 事代主命(ことしろぬし)(元 大歳神社)
建御名方神(たけみなかた) 仲哀天皇 神功皇后 応神天皇 (元 諏訪神社)
一 祭礼
1月1日 元旦祭 4月17日 春季大祭 6月25日 道祖神祭 7月21日 祇園祭 10月17日 秋季大祭 11月15日 七五三祭
この由緒で注目するのは王子神社の由緒で、「神武天皇が日向の国より東征の途上、筑前のこのところにおいでになり、一年間政務をみられた宮居の地・・・・・」ですね。
『古事記』では、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)は、兄の五瀬命(イツセ)とともに、日向の高千穂で、葦原中国を治めるにはどこへ行くのが適当か相談し、
東へ行くことにした。舟軍を率いて日向を出発して筑紫へ向かい、豊国の宇沙(現 宇佐市)に着くと、宇沙都比古(ウサツヒコ)・宇沙都比売(ウサツヒメ)の二人が仮宮を作って食事を差し上げた。
そこから移動して、岡田宮で1年過ごした。さらに阿岐国の多祁理宮(たけりのみや)で7年、吉備国の高島宮で8年過ごした。・・・・・このように書いてあるようだ。
ここに書いてある「岡田宮で1年過ごした・・・」の岡田宮がこの王子神社であり今の一宮神社(いちのみやじんじゃ)のことであるという事のようだ。
ちなみに黒崎祇園山笠が奉納される神社の一つに岡田宮があるが、そこも神武天皇が1年間滞在した伝説がある。しかし、その岡田宮の元宮は一宮神社らしいので、両神社に神武天皇の滞在伝説があるのは頷(うなず)ける話である。
そして、福岡県岡垣町芦屋にある神武天皇社 (じんむてんおうしゃ)にも『古事記』に出てくる岡田宮はここである。と言われている。福岡県福津市津丸にある神武神社にも神武天皇滞在説が残っている。どこが本当だろうか?
余談ですが、黒崎祇園山笠が奉納される黒崎地区の三つの神社の宮司さんは一宮神社宮司 波多野 正信氏、岡田神社宮司 波多野直之氏、春日神社宮司 波多野 雅夫氏 全部、名字が「波多野」だが親戚関係かな?
一宮神社の一の鳥居をくぐり、二の鳥居をくぐった所の左に、古代祭場跡の「神蹟山(しんせきざん)王子本宮」があります。
そこは神武天皇が滞在していたときに磐境 ( いわさか:堅固な神域、または祭壇 )を設けて天神地祇(てんじんちぎ:天の神と地の神)を祀った神聖な所だとのことです。
こぶし大の石ころが手前は円形に置かれており、奥は四角に置かれています。たぶん、どちらかが天の神で、もう一つが地の神を祀っているものと思います。
月も太陽も丸いから丸い方が天の神で畑や田んぼは四角が多いから四角が地の神だと推測します。
この石ころで築いた地形を磐石(ばんじゃく)と言うようだ。
|
|