◆ 8世紀初頭に建立されたと推定されている寺院の跡
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飯塚市大分(だいぶ)地区にある「大分廃寺塔跡」は8世紀初頭(奈良時代初期)に建立されたと推定されている寺院の跡地です。
塔の中心柱を支えた心礎(しんそ)を中心に17個の礎石(そせき)が、良好な状態で残っています。
その 心礎柱座(しんそはしらざ)には直径80cmの穴が開いており、そこに塔の中心となる柱が建っていたと推測されています。
穴の大きさなどから高さ30mを越える三重の塔だったと考えられています。
奈良時代の初めの頃の新羅系や百済系の互の出土は現在の「みやこ町」から「宇佐市」にかけて多数確認されています。
この地方に銅鉱山の開発や養蚕(ようさん)などを行う技術者集団である朝鮮半島から渡ってきた渡来人(とらいじん)やその子孫が住み着き定住したと考えられています。
この大分地方にも多くの渡来人が定住した可能性が高いですね。
ちなみに、昔より銅を産出した場所であり、奈良東大寺の大仏造営(西暦752年大仏開眼)にも相当量の銅が、そこから搬出されたと云われている香春(かわら)町にある香春神社(福岡県田川郡香春町)は
半島系の神様である辛國息長大姫大目命(カラクニオキナガオオヒメオオメノミコト)を祀っています。そこには銅山の採掘や精錬に従事した新羅系渡来氏族集団がいたと推測されています。
動画案内(約3分)
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