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月光山 天徳寺 (げっこうざん てんとくじ)

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福岡県築上郡築上町本庄361
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◆◆◆◆◆ 月光山天徳寺(げっこうざん てんとくじ) ◆◆◆◆◆

 現地の案内板に書いてある 月光山天徳寺 縁起には下記のように書いてあります。

 正慶元年(1332年)に五代当主宇都宮頼房公が建立した寺です。
豊前国衛在職の頼房公は、築城郡本庄に若山城を築き、豊後国東の泉福寺二世蔵山融澤和尚を迎え、 「香火院月光山天徳寺」を開山し持仏寺とした。のちに天徳寺は宇都宮氏の菩提寺となった。
 時代は遡り鎌倉時代の初期、源頼朝の御家人職であった宇都宮頼房公(初代豊前宇都宮氏)が、頼朝の命で九州に入国し広大な所領を得て、豊前最大の豪族として土着し栄えた一族でその活動範囲は九州全域に及ぶ、それゆえ鎮西宇都宮氏とも云う。
 時は流れて18代鎮房公の代、豊臣秀吉の天下統一に際しては所領を失い新参大名黒田氏と敵対し、ついには謀計の涯て天正16年(1588年)4月長甫・鎮房・朝房・つる姫・家臣共々無念の生涯を綴じた。
しかれどもお家断絶の機に会うも宇都宮氏の血は絶える事なく徳川時代(慶長〜元和)細川、小笠原両家の御加護にて当寺も復興し宇都宮氏菩提寺として現在に至る。

一、天徳寺本尊    釈迦如来座像
一、宇都宮氏霊廟仏 聖観世音菩薩像


天徳寺 案内板1
天徳寺 案内板2

 上の説明で "謀計の涯て天正16年(1588年)4月 長甫・鎮房・朝房・つる姫・家臣共々無念の生涯を綴じた" と、さらりと書いてありますが、城井宇都宮公ファンにとっては頭に血がのぼる悔しい出来事があったのです。
なお、宇都宮氏は城井谷(きいだに)に城を構えていたので城井(きい)氏とも城井宇都宮(きいうつのみや)氏とも呼ばれていました。ここでは城井宇都宮(きいうつのみや)氏で統一して書きます。

 秀吉の九州攻めに際し城井宇都宮(きいうつのみや)鎮房(しげふさ)は本領安堵を条件として豊臣の傘下に加わりました。しかし、九州を平定した秀吉は鎮房(しげふさ)に伊予宇和島への国替えを命じたのです。 約束を反故されたことで激怒した城井宇都宮(きいうつのみや)鎮房(しげふさ)は父祖伝来の地を守りたいと城井谷に居座り続けました。

 鎮房(しげふさ)の反発に激怒した秀吉は黒田孝高・毛利勝信に鎮圧を命じると共に、毛利輝元・吉川広家にも派兵を命じ、鎮房(しげふさ)の本拠地である城井谷城を攻撃させました。
 城井谷城は「城井盾籠所」と言われており周囲を岩壁に囲まれた地形で、村人などが避難のため籠る場所であったそうです。自然の巨岩の表門と裏門があります。三丁弓の岩は独立状の巨岩で、 ここの攻め手を防ぐのに三丁の弓をもって足りたことに由来すると言われています。それだけ攻めるのが難しい山城だったのです。
 鎮房(しげふさ)はこの地の利を生かしグリラ戦で攻撃してきた黒田孝高・長房親子が率いる豊臣軍を撃退しました。この戦いを黒岩山合戦(峯合戦)と言います。
NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」では長政が命からがら逃げ延びた様子が描かれていました。ちなみに鎮房(しげふさ)は村田雄浩さんが演じていました。なかなかの名演技でしたね。

 城井谷城攻略に苦戦した黒田孝高(官兵衛)は、鎮房(しげふさ)の本領安堵と鎮房の13歳になる娘・鶴姫を長政に嫁がせる事を条件に和議を申し込み、鎮房(しげふさ)もそれを受け入れました。
しかし、その和議は秀吉に拒否されました。困った黒田孝高(官兵衛)は、その後、肥後で起こった一揆の鎮圧の為、黒田孝高(官兵衛)が熊本に派遣され、 黒田孝高(官兵衛)が留守の間に「親睦を深めたい」という長政の執拗な招きにより、しかたなく鎮房(しげふさ)は中津城へ向いました。

 孝高(官兵衛)が長政に授けた謀略により、約200名の鎮房(しげふさ)の家来は城の外にある合元寺(ごうがんじ)に留め置かれ、わずかな共の者と城に入った鎮房(しげふさ)は長政と会見しました。 その後の宴席で黒田孝高(官兵衛)の重臣である吉田又助(吉田重成)が酌をして、わざと酒をこぼして油断させたところを、膳を運んできた野村太郎兵衛が、膳を鎮房に投げつけ、 左の額から目の下まで切りつけました。身長が6尺(約180Cm)あった大男の鎮房(しげふさ)も負けじと刀を抜きかけたが側にいた黒田長政が先に刀を抜き、左肩から右横腹までを切りつけ、さすがの鎮房(しげふさ)も倒れ伏しました。
 そばにいた野村太郎兵衛が最後の一太刀をと長政に勧めるので長政は鎮房(しげふさ)の腰のところで体を切断し絶命したそうだ。天正16年(1588年)4月20日の出来事です。

 鎮房(しげふさ)を討ち取った長政は手勢を率いて鎮房(しげふさ)の部下が待機している合元寺(ごうがんじ)を襲撃し、鎮房(しげふさ)の部下約200名をことごとく討ち取りました。 この時の戦いはすさまじく寺の壁は返り血を浴びて真っ赤に染まり、その血痕は何度塗り替えても染み出ることから、ついには赤く塗りつぶしたそうです。寺は赤壁寺とも呼ばれています。(合元寺の赤壁伝説)

 鎮房(しげふさ)の嫡男((ちゃくなん))・城井宇都宮朝房は、黒田孝高(官兵衛)に従い一揆鎮圧のため出陣していたが、鎮房(しげふさ)の謀殺の連絡を受けて肥後国で孝高(官兵衛)によって暗殺しました。 城井宇都宮朝房は黒田孝高(官兵衛)に呪の言葉を残して死んだと云われています。

 その後、長政は体制を整えて天正16年(1588年)4月22日 鎮房(しげふさ)の本拠地であった城井谷城を攻撃し、城井谷城の留守を守っていた鎮房の父・長房や家臣団など城井宇都宮氏の一族は皆殺しにしました。

● 鎮房(しげふさ)の妻 竜子は生き延びた。
 Wikipediaによると 鎮房(しげふさ)の妻 竜子は城井谷城から脱出し、英彦山の南の宝珠山村で男子を出産し、竜子の実家である秋月種実に引き取られ、宇都宮朝未と名乗り、お家最高に奔走(ほんそう)し、 朝末の孫の宇都宮信隆(高房)が元禄3年(1690年)、越前松平家・松平昌親に召抱えられ、その子孫は越前松平家の家臣として血脈を保ったそうだ。

●お鶴(鶴姫)は侍女と共に磔(はりつけ)刑になったのか?
 城井宇都宮鎮房(しげふさ)の娘お鶴(鶴姫)は黒田家と和議を結んだ時に3人の侍女と共に中津城に人質として入りました(正室とも云われている)。 鎮房(しげふさ)が謀殺された時にお鶴(鶴姫)も中津城の近くの山国川の広津の千本松河原(築上郡吉富町小犬丸)で侍女3人と城井谷城の攻撃の時に捕えられた城井宇都宮一族の人達13人と共に磔(はりつけ)にされたと云われています。
磔(はりつけ)にされたお鶴(鶴姫)など13名は塚が築かれ後になってその地にお鶴(鶴姫)の霊を祀る宇賀神社が創建されました。
2003年の新作歌舞伎としてお鶴(鶴姫)が侍女と共に磔(はりつけ)刑にて殺された話を元にした「斑雪白骨城」が上演されました。

また、お鶴(鶴姫)は黒田官兵衛が秀吉の許可を得て助命し、尼となり城井谷の山奥にて、城井宇都宮一族の冥福を祈りながら天命を全うしたと言う説もあるようです。

●城井神社(きいじんじゃ)
 中津城内に城井宇都宮鎮房(しげふさ)を祀った城井神社というのがあります。現地の説明文によると「天正十九年黒田長政は深く感ずる処があって城内守護紀府(城井)大明神として城井宇都宮鎮房を祀り、 福岡移封後はその地に警固大明神として祀った。
宝永二年(一七〇五年)小笠原長円は小社を建て城井大権現として崇め、その後幾度かの変遷の後、城井神社として改められた。」と書いてあります。
また、一説では 悲劇の舞台となった中津城には城井宇都宮鎮房(しげふさ)の亡霊が夜な夜な出没し、黒田長政はその亡霊に恐れおののき、鎮魂のため、城内に城井神社を創建したとも云われています。

 中津城内には扇城神社(せんじょうじんじゃ)というのもあります。扇城神社は城井宇都宮鎮房(しげふさ)が謀殺された時に合元寺(ごうがんじ)に留め置かれたの従臣(じゅうしん=家来)45柱を祀っている神社。


 ◆ 中津城内にある城井神社
中津城内にある城井神社
 ◆ 中津城内にある扇城神社
中津城内にある扇城神社

 ※城井神社の案内板はここ

 ※扇城神社の案内板はここ

●城井宇都宮鎮房(しげふさ)は身長が6尺(約180Cm)もあった大男だった。
 城井宇都宮鎮房(しげふさ)は身長が6尺(約180Cm)もあった大男で弓の名人だったそうです。領民に慕われた名将でもあったそうで、 『黒田家譜』には、「鎮房は武勇人にすぐれ、力量つよくして人数多くしたがへ、城井谷の内、家田村の奥、鬼ケ城という所に立て籠る」と記されているそうだ。

●城井宇都宮一族の墓所は神霊スポット。
 城井宇都宮一族の墓所にある城井宇都宮鎮房と父 城井宇都宮長房、子 城井宇都宮)の3 名の墓はいずれもヒビが入っており、これらのヒビは城井宇都宮鎮房ら3人の傷の場所を示しているとも言われている心霊スポットなのです。
3人の強い怨念が墓にヒビを走らせたのだと言うのです。下の墓のビッグ写真でヒビを確認してください。 参拝すると心なしか霊気を感じます。

 城井宇都宮鎮房の悲劇的な最後に同情を禁じ得ないですね。信義を重んじ時代の荒波にうまく乗れなかった不器用な武将だったのでしょうか? 今も築上町近辺の人達は城井宇都宮鎮房を名将だったと慕っているようです。

動画案内(約7分)

 
 


 ◆ 天徳寺(てんとくじ)の参道入口(右に駐車場がある)
天徳寺(てんとくじ)の参道入口(右に駐車場がある)

 ◆ 天徳寺の案内板 ※ ビッグ写真はここ
天徳寺の案内板(1332年頃に建立されたようだ)

 月光山天徳寺(げっこうざん てんとくじ)は曹洞宗(禅宗)のお寺で、悲劇的な死を遂げた城井宇都宮鎮房など城井宇都宮一族をの菩提寺です。
境内には城井宇都宮公霊廟(れいびょう)があり、中に城井宇都宮鎮房公の肖像画と位牌がある霊廟があります。
本堂前の入口には鐘楼門があり、ここの佇まいがいいですね。
本堂には参禅会(さんぜんかい)のポスターが張ってありました。個人でも団体でも申し込めば座禅ができるようです。

 天徳寺の北側の山の中に城井宇都宮一族の墓所があります。天徳寺の駐車場の所から墓所に上がる参道があり、 駐車場から約50m程度上がった所に非業の死を遂げた城井宇都宮鎮房と父 城井宇都宮長房、子 城井宇都宮朝房などの墓があります。


 ◆ 祠(ほこら)があります
祠(ほこら)があります
 ◆ 石仏の頭だけが祀ってある
石仏の頭だけが祀ってある

 ◆ 頭に巻いた帯からみて千手観音の頭かな?
頭に巻いた帯からみて千手観音の頭かな?
 ◆ 後ろには石仏が並んでいる(中央はお地蔵さん)
後ろには石仏が並んでいる(中央はお地蔵さん)

 ◆ 天徳寺の門(参禅道場入口)
天徳寺の門(参禅道場入口)
 ◆ 参禅道場(さんぜんどうじょう)
参禅道場(さんぜんどうじょう)

 ◆ 参禅道場前にはちょっとした庭がある
参禅道場前にはちょっとした庭がある
 ◆ 八重のツバキもきれい
八重のツバキもきれい

 ◆ もう一つの門は鐘楼門になっている
もう一つの門は鐘楼門になっている

 ◆ 小楼門を入ると天徳寺の本堂がある
小楼門を入ると天徳寺の本堂がある

 ◆ 本堂の扁額には山号の「月光山」とある
本堂の扁額には山号の「月光山」とある
 ◆ 参禅会(さんぜんかい)を開催しているようだ
参禅会(さんぜんかい)を開催しているようだ

 ◆ 本道側から見る鐘楼門は、なかなか風流で良い
本道側から見る鐘楼門は、なかなか風流で良い

 ◆ 本堂の左には城井宇都宮公霊廟(れいびょう)がある。桜も咲いていた
本堂の左には城井宇都宮公霊廟(れいびょう)がある。桜も咲いていた

 ◆ 城井宇都宮公霊廟(きいうつのみやこうれいびょう)
城井宇都宮公霊廟(きいうつのみやこうれいびょう)

 ◆ 城井宇都宮の家紋は三つ巴(ともえ)
城井宇都宮の家紋は三つ巴(ともえ)
 ◆ 城井宇都宮鎮房(しげふさ)公の肖像画
城井宇都宮鎮房(しげふさ)公の肖像画

 ◆ (左)城井宇都宮公霊廟
(左)城井宇都宮公霊廟
 ◆ (中央)聖観世音菩薩 ※ ビッグ写真はここ
(中央)聖観世音菩薩
 ◆ (右)水子観音菩薩
(右)水子観音菩薩

 ◆ 本堂の裏、庫裡の前にある庭 ※ ビッグ写真
本堂の裏、庫裡の前にある庭
 ◆ 天徳寺から見る本庄の集落 ※ ビッグ写真はここ
天徳寺から見る本庄の集落



 ◆ 城井宇都宮公墓参道 (この道を約50m上がった所に城井宇都宮家の墓所がある)
城井宇都宮公墓参道 (この道を約50m上がった所に城井宇都宮家の墓所がある)

◆ 宇都宮氏の末裔が詠んだ句碑 ※ ビッグ写真
入口に宇都宮氏の末裔が詠んだ句碑がある(草笛や城址に残る悲話いくつ)
 ◆ 標識もある
標識もある

 ◆ 墓所には城井宇都宮家の多くの墓が並んでいる ※ ビッグ写真はここ
墓所には城井宇都宮家の多くの墓が並んでいる

 ◆ 左から17代長房、18代鎮房、19代朝房の墓 ※ ビッグ写真はここ
左から17代長房、18代鎮房、19代朝房の墓

 ◆ 17代 長房の墓 ※ ビッグ写真
17代城井宇都宮長房の墓
 ◆ 18代 鎮房の墓 ※ ビッグ写真
18代城井宇都宮鎮房の墓
◆ 19代 朝房の墓 ※ ビッグ写真
19代城井宇都宮朝房の墓

 ◆ 室町時代に活躍した城井俊房の宝篋印塔
室町時代に活躍した城井俊房の宝篋印塔
 ◆ 苔むした墓の残骸が積んである
苔むした墓の残骸が積んである

 ◆ 城井宇都宮家のたくさんの墓が並ぶ墓所
城井宇都宮家のたくさんの墓が並ぶ墓所

 ◆ 案内板 ※ ビッグ写真はここ
案内板(拡大表示)
 ◆ 天徳寺の駐車場
天徳寺の駐車場
 ◆ 動画案内(約7分)
月光山天徳寺の動画案内




 ◆ 天徳寺の駐車場の側(そば)にある天神山の大しだれ桜(推定樹齢70年) ※ 詳細ははここ
天徳寺の駐車場の側(そば)にある天神山の大しだれ桜(推定樹齢70年)



天神山の大しだれ桜へ行く







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  ■天徳寺       0930-54-0258
  ■築上町       0930-56-0300(代)
  *アクセス
  ■寒田線上本庄バス停から徒歩10分 JR日豊本線築城駅から車で約25分。

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企画・制作 (株)システム工房 ・ 最終更新日 2016年04月06日
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