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興国寺 (こうこくじ)

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福岡県田川郡福智町上野1892
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◆◆◆◆◆ 興国寺(こうこくじ) ◆◆◆◆◆

 福智山の南西の山裾の福智町上野にある興国寺(こうこくじ)は曹洞宗(そうとうしゅう)のお寺で 山号は天目山(てんもくざん)といいます。 創建は白鳳(はくほう)五年(西暦677年)とされ千数百年の歴史のある古刹(こさつ)です。
創建当初は福智寺(ふくちじ)と号し天台宗に属したが嘉暦(かれき)元年(西暦1326年)無隠元晦禅師(むいんぜんかいぜんじ)は豊後国主大友氏の帰依を得て 廃跡を復興し臨済宗となりました。
元徳二年(西暦1330年)後醍醐天皇は高徳(こうとく)の元晦禅師(ぜんかいぜんじ)に対し綸旨(りんし)と紫衣(しえ)を賜り、勅願所として 天目山宝覚禅寺(ほうかくぜんじ)と号せしめられた。
その後、足利尊氏(あしかがたかうじ)は土地三百貫を寄せ安国寺としました。応仁の乱後は寺院荒廃す。大内義隆は痛くこれを惜しみ諸堂を再建し 長州寺号を興国寺と改称し曹洞宗に改めました。⇒詳細は現地案内板を参照ください。

 興国寺(こうこくじ)には福岡県指定有形文化財が2点あります。ひとつは木造 元晦禅師(ぜんかいぜんじ)坐像です。 桧材寄木造り彩色、五眼嵌入による南北朝時代の作であり、等身大の無隠元晦禅師(むいんぜんかいぜんじ)の彫刻です。⇒ 詳細は現地案内板を参照ください。
もう一つは紙本墨書興国寺文書( しほんぼくしょこうこくじもんじょ)です。 この文書は南北朝時代の足利尊氏から同直義・同義持・大内盛見・同義興・同義隆等の寄進状・下知状等々天文年間(16世紀)に及ぶ中世資料です。 これに小笠原忠雄等近世小倉藩時代の文書若干を含んでおり、第1巻は13通、第2巻は1通と大般若経奥書等を収めています。 当該地方の中世資料として、また、寺史資料として貴重なものです。

 佛殿(観音堂)は享保4年(西暦1719年)の建築で質素なつくりが禅宗建築の特徴を示しています。 柱などに建築当初の部材が多く残るほか、 ひさし状に張り出した裳階を巡らす建築は県内でも 少なく貴重なものです。

 
 



 ◆ 福智山の南西の山裾の福智町上野にある興国寺(こうこくじ) ※ 2014/04/02 撮影
福智山の南西の山裾の福智町上野にある興国寺(こうこくじ) ※ 2014/04/02 撮影

 ◆ 興国寺の創建は7世紀後半と云われる古刹
興国寺の創建は7世紀後半と云われる古刹(こさつ)

 桜に誘われて興国寺(こうこくじ)を訪れました。寺の入り口付近に多くの桜があり二重屋根の山門と桜のコンビネーションがとても良かったですね。
境内には桜の木は少ないのですが、鐘楼堂前の桜はとてもきれいでした。

 興国寺(こうこくじ)には「墨染の桜」の話があるので「墨染の桜」という桜があるのかと思いましたが、そういう桜はないようです。 昔の文書(興国寺文書)の中に「墨染の桜」を詠んだ歌が残されているのだそうです。⇒ 詳細は現地説明板を参照ください。

 後で知りましたが、興国寺の本堂の裏には開山堂があるようです。写真を撮り損ねました。そして足利尊氏が隠れたという「かくれ穴」もあるようです。 これらは次の機会に写真を撮ってきます。
動画案内(約5分)


 ◆ 桜がきれいな興国寺(こうこくじ)
桜がきれいな興国寺(こうこくじ)

 ◆ 興国寺の二重屋根の山門楼
興国寺の二重屋根の山門楼

 ◆ なんとも風流な二重屋根の山門楼
なんとも風流な二重屋根の山門楼

 ◆ 足利尊氏が戦に敗れて九州に落ち延びた際、このお寺に匿われ再起の出発点となった
足利尊氏が戦に敗れて九州に落ち延びた際、このお寺に匿われ再起の出発点となった

 ◆ 興国寺(こうこくじ)は足利尊氏が国家安泰のために建てた安国寺第一位の寺
興国寺(こうこくじ)は足利尊氏が国家安泰のために建てた安国寺第一位の寺

 ◆ 右に鐘楼がある
右に鐘楼がある

 ◆ 興国寺(こうこくじ)本堂
興国寺(こうこくじ)本堂

 ◆ 本尊は釈迦如来
本尊は釈迦如来




 ◆ 桜越にみる興国寺の本堂
桜越にみる興国寺の本堂

 ◆ 観音堂(観音堂の本尊は千手観世音菩薩)
観音堂(観音堂の本尊は千手観世音菩薩)

◆ 大師堂(弘法大師、聖観音、弁財天)
大師堂(弘法大師、聖観音、弁財天)
 ◆ 大師堂裏の崖に石仏が並ぶ
大師堂裏の崖に石仏が並ぶ
 ◆ いろいろな石仏がある
いろいろな石仏がある

 ◆ 本堂前の石仏
本堂前の石仏
 ◆ 墨染の桜 ※ ビッグ写真はここ
墨染の桜
 ◆ 鐘楼
鐘楼

 ◆ 境内の池は「浄心池」という
境内の池は「浄心池」という
 ◆ 駐車場もある
駐車場もある
 ◆ 動画案内( 約5分)
興国寺の動画案内


 
 

◆◆◆◆◆ 小倉藩第9代藩主・小笠原 忠幹の葬儀が興国寺で盛大に行われた。 ◆◆◆◆◆

 慶応二年(1866年)第二次長州戦争が起きました。小倉城とその周辺には集まった幕府側の軍勢は約2万人。高杉晋作率いる長州勢は約4000人。 4000人といっても四境戦争と言われるように4方向で戦っているので、長州藩が小倉城を攻撃できる人数は1000人程度だった。
2万 VS 1000人と圧倒的に幕府側が有利な状況でしたが、なぜに我々が幕府の代わりに長州と戦わなければいけないのか? 幕府側の戦意は低く最新兵器で武装した高杉晋作率いる 騎兵隊に押されていました。そのような中、第9代藩主・小笠原 忠幹(ただよし)が39歳の若さで急死したのです(毒殺されたという説もある)

 世継ぎの豊千代丸(とよちよまる)はまだ4歳。小笠原藩は忠幹(ただよし)の死を伏せたのでした。 遺体は薬液を入れた大甕(おおがめ)におさめ、さらに頑丈な木棺(もっかん)で囲い、藩主寝室の地下に隠されたといいます。

その後、長州軍の猛攻に小倉城は孤立し、なんと、長州戦争の指揮を執っていた幕府の老中であった小笠原長行は、こっそりと陣営を抜け出して海路で大阪に逃亡したのです。 それを知った家老以下、小倉藩は絶望し、急遽(きゅうきょ)評定を行い城に火をかけて撤退、という苦渋の決断に至りました。慶応2年8月1日(1866年9月9日)に小倉城は炎上しました。

 小倉藩士や家族1万人以上は、小倉城下を離れ、一路南下して平尾台を目指しました。そして平尾台を通り過ぎて香春(かわら)へと逃亡したのです。 世継ぎの豊千代丸と貞順院は、姻戚関係にある肥後の細川家を頼り熊本へと移りました。
1万人以上の住人が急きょ移住してきた香春は大混乱になりました。その大混乱もなんとか落ち着いた慶応3年(1867年)3月に藩庁を正式に開き香春藩(かわらはん)としました。
その後、明治2年(1869年)には豊津(とよつ)に藩庁を移して豊津藩と称するまで約2年間、香春に小笠原藩の庁舎があったのです。

 慶応二年(1866年)に藩主であった小笠原 忠幹(ただよし)が急死しましたが、いつまでも隠すわけにもいかず、慶応3年(1867年)6月2日に藩主 小笠原 忠幹(ただよし)の死を公表しました。 そして、7月8日に興国寺(こうこうじ)で家族や僧侶が約200人も集まり盛大な葬儀が執り行われたそうです。

 藩主の葬儀が盛大に行われたという事は、興国寺は、江戸時代から、この地方一の格式のある寺であったという事ですね。

 
 


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