◆ 明治44年に地元民により建立された「日本海海戦記念碑」
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三宇田海水浴場の前の海の先に戸ノ崎(殿崎)という半島が横たわっていますが、その半島の付け根付近に殿崎公園(日露友好の丘)があります。
この辺りの東側の対馬海峡で明治38年(1905)5月27日から翌28日、祖国の興廃をかけ、日本とロシアの間で海戦が繰り広げられたのです。
東郷平八郎司令長官が率いる日本海軍の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃破しました。「対馬沖海戦」とか「日本海海戦」と言われています。
この海戦でロシア兵約5000柱、日本兵128柱が戦死し、今もその多くが海底に眠っているのです。
戦場となった海域に近い対馬のこの地に、明治44年に造られた「日本海海戦記念碑」をはじめとして、日本一の巨大レリーフ「平和と友好の碑」、
2005年にロシア政府が建立した「日露慰霊の碑」など日本海海戦(対馬沖海戦)関連の碑が建っています。
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