◆ この道は廃道になり今は使われていません
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阿連(あれ)の洞門のある海岸の小道は隣の小茂田の集落に行く道だったのですが、この洞門の場所だけが崖が迫っており、危険で難儀(苦労すること)をしていたそうです。特に子供や年寄りには危険な場所だったそうです。
それを見かねた阿連(あれ)に住んでいた石職人の田代さんという人がトンネルを掘ろうと決意し、ノミとツチだけで掘り始めたのです。
その後、田代さんはトンネルの完成を見ずに亡くなったのですが、弟子の山崎長吉さんが田代さんの意志を引き継ぎ洞門を掘りました。がんばっている山崎さんを見て、阿連(あれ)地区の人達も協力するようになり
昭和の7年〜8年頃に完成しました。
洞門はできた当時は一つのトンネルでしたが、今は中央部が崩落して前後2つのトンネルになっています。ここの崖は脆(もろ)く、今にも崩れそうで危険です。行くなら十分注意して、自己責任でお願いします。
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