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広滝水力発電所建設秘話
この広滝の地が城原川の水流測定や、地形調査等で、水力発電所建設の有力候補地として有望であると明治30年代に注目されていた。
しかし、実際に水力発電所が建設されることになったのは、明治39年11月、県内財界の実力者牟田万次郎や伊丹弥太郎らが、
資本金30万円で広滝水力発電気株式会社を創設したのがその始まりである。
翌40年7月14日に起工式を行い、総工費61817円で最初は地元の3建設会社が水路ならびに本館工事に対し請負、地元会社の面目にかけて九州一の水力発電所を建設する意気込みであった。
しかし、機械力もなく、難解な工事箇所が多かったために、2建設会社は損失を被らないうちにと工事半ばで脱退し、結局は松尾組(現在、松尾建設)の単独請負となり、
請負予算の2万円を大幅に超えたが、不足した経費は松尾組が負担して、指定期日までに完成させた。
この松尾組の措置は、県内外より賞賛され、鍋島直映(なおみつ)は諱名(きめい)藤原姓で書いた「源泉混々不舎晝夜」という扁額(へんがく)を松尾組に贈り、その苦労をねぎらった。
この扁額は、広滝第一発電所の導水路の一角(第二隊道)に刻み込まれていたが、後の地すべり等により埋もれていたものを、平成7年にこの地に移設したものです。(一番下の写真)
【参考資料】
● 扁額(へんがく)…寺社の門などに掲げられた横長の額
● 源泉混々(げんせんこんこん) …孟子の言葉で「源泉混々として昼夜をおかず、科(アナ)に盈ちて後に進み四海に到る」より取ったものと思われる。意味は、
人の生きる源泉たるべき「実学と人間道」を学ぶ。という意味かな?
● 不舎晝夜(ちゅうやをおかず)…昼夜休むことなく
現地の説明板によると、この広滝水力発電所は水路延長2700メートル、隧道240メートル、落差175メートル、ドイツ・フォイト社製800馬力の水車、
ドイツ・シーメンスシュツケルト社製11000ボルトの発電機2台を備えていました。当時では最新式の施設で道水管は佐賀の
谷口鉄工所と大川の深川造船所が製作セメント42000樽、火山灰7000俵、石灰6000俵、英国製の輸入レンガ157万個を使用する
大工事で、原材料の運搬や構築技術のうえで数多くの困難を伴ったといわれています。
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