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大分県竹田市
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◆◆◆◆◆ 豊後竹田市(ぶんごたけた) ◆◆◆◆◆
奥豊後の中核都市である竹田はすり鉢の底のような盆地にひらけた街で、四方を山にかこまれているためにトンネルが多く「レンコン町」とも言われています。
また、城下町として栄えた竹田は、風光明媚な自然に囲まれた落着いた街であり、仏教とキリスト教の余香が残り、
懐かしさを感じる街です。
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◆ 豊後竹田市の岡城跡の満開の桜 ※ 2007/3/31 撮影 ※岡城の桜詳細ページ
◆ 岡城二の丸跡に建つ滝廉太郎の像
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岡城跡は名曲「荒城の月(盛實氏HPリンク)」
のモデルとなった城跡です。岡城跡からは祖母山、阿蘇山、久住山が眺められ、春は桜、秋は紅葉が楽しめる竹田で一番人気の観光地となっています。
最近は2月20日頃〜3月20日頃まで竹田城下町雛まつり、10月中旬には薪能、11月中旬には竹楽と城下町らしい行事が行われ
観光客に人気があります。竹田の工芸品である「姫だるま」はサイズもいろいろあり、品がありかわいいので、お土産に人気のある品です。
行事の日程などの詳しい事は竹田市観光協会に問合せください。
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◆ 岡城跡の秋の紅葉もなかなかのもの
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◆ 紅葉の見ごろは11月中旬頃
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◆ 岡城跡の紅葉
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◆ 岡藩城下町雛まつり(2/20頃〜3/20頃)
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◆ 2万本の竹燈篭が灯る「竹楽」(ビッグ写真)
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◆ 工芸品「姫ダルマ」
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■■■■■ 観音寺、愛染堂 ほか ■■■■■
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観音寺 (かんのんじ)、愛染堂 (あいぜんどう)
竹田駅より徒歩10分のところにある観音寺入り口の石段右側に一風かわった石仏が16体あります。なんでも仏教の思想と老荘思想が
まざりあった超人の思想をもっているそうです。岩の上に佇んでいる姿は見るものを不思議な気持ちにさせます。
その石段を登ると観音寺があり境内に中国の寒山寺を模して造ったという円通閣がありその円通閣をくぐった所に竹田市で最古の建造物である愛染堂があります。
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◆ 江戸初期の仏教建築。愛染堂(1635年に建築された竹田最古の建造物)
◆ 観音寺(円通閣)… 1618年建築の中国風の祈念所
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観音寺(円通閣)は1618年建築されたもので、石垣は当時のものであろうが、石垣の上の建物は比較的新しいので、その後に造りかえられたものと思われます。
その円通閣をくぐった所に竹田市で最古の建造物である愛染堂が優雅なたたずまいで建っています。
この愛染堂は正式には願成院(がんじょういん)本堂といい、国指定重要文化財に指定されています。
岡藩二代藩主中川久盛により寛永12年(1635)に建立されたもので、本瓦葺の三間堂です。屋根の上には一重の宝形塔が建っており、
軒の垂木なども複雑な構造をしている建造物です。
この付近には昔の風情が残っており、岡城とともに竹田を代表する地域です。
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◆ たたずまいが良い観音寺入口付近
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◆ 観音寺(十六羅漢)
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◆ 岡藩の迎賓館であった「茶房御客屋」現在は茶屋
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◆ 豊音寺の二重門 (江戸時代後期1849年建立)
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■■■■■ ・滝廉太郎記念館 ・滝廉太郎トンネル ・竹田市立歴史資料館 ■■■■■
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滝廉太郎記念館
「荒城の月」「四季」などの多くの名曲を残した滝廉太郎は父の竹田赴任に伴い明治24年から4年間ここ竹田に住み、
住んでいた旧家が現在は記念館になっています。
■ 滝廉太郎記念館
(9:00〜16:30 月曜と祝日の翌日休み)
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◆ 滝廉太郎記念館(滝廉太郎旧宅)
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滝廉太郎トンネルは酒蔵として造られたもので記念館発足の時に記念館と上本町をむすぶトンネルに改造され「廉太郎トンネル」と命名されました。
中に入ると滝廉太郎の曲が流れてきます。
竹田市立歴史資料館は竹田市の縄文から現在までの歴史を紹介している歴史資料館です。特に田能村竹田、広瀬武夫、朝倉文夫、
滝廉太郎などの紹介や岡城の模型、「ホスピタル・サンチャゴ1612」と刻まれたキリシタンベルなどが見どころです。
竹田市立歴史資料館には広い無料駐車場があります。ここに車を駐車して滝廉太郎記念館や 旧竹田荘、殿町武家屋敷跡などの見学をするのが良いですね。
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◆ 滝廉太郎トンネル(中を通ると廉太郎の曲が流れる)
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◆ 竹田市立歴史資料館
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■■■■■ 旧竹田荘、「田能村竹田」宅跡 ■■■■■
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田能村竹田 (たのむらちくでん)
日本南画界の最高峰、田能村竹田(たのむらちくでん)は岡藩藩医の次男として安永6年(1777年)に生まれました。
田能村家は代々医師として岡藩に仕えていましたが、竹田(孝憲)は幼少から書画を学び、20歳の時に医業を廃業し文人画家の道を志して、
全国を旅して詩や画に独自の境地を開いた人です。
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◆ 旧竹田荘、「田能村竹田」宅跡 左:補拙廬(ほせつろ)…弟子の塾および居住所、 右:竹田荘 母屋
◆ 竹田荘からみる竹田市街地(眺めが良い)
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現在保存されている「田能村竹田」宅跡は焼失の後1780年に再建されたものであり200年前の建築です。(1980,1981年に解体復元修理されています)
竹田荘母屋の二階からは城下町を一望できることから雪月楼(せつげつろう)といわれていたそうです。
また敷地内には草際吟舎(そうさいぎんしゃ)という土蔵様式の二階建ての建物もあります。一階は茶室、二階は書庫になっています。
ここは竹田(ちくでん)と親交のあった頼山陽(1780〜1832年)も宿泊したといわれています。この建物は明治時代に取り壊されましたが1933年に
再建されました。そして1980,1981年に古図のとおりに復元されたものです。
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■■■■■ ・殿町武家屋敷跡 ・キリシタン洞窟礼拝堂跡 ■■■■■
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殿町武家屋敷跡 (とのまちぶけやしきあと)
殿町は、かつて家老や奉行など中級武士たちが住んでいたところで、現在も武家屋敷が残り、城下町の名残を色濃くとどめている場所です。
その一角には休憩所と案内所を兼ねた竹田創生館があります。 竹田創生館ではウォーキングマップや観光情報が入手できます。(竹田創生館は9:00〜16:30)
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◆ 土塀が続く町並みが残る殿町の武家屋敷跡
◆ 休憩所と案内所を兼ねた竹田創生館
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武家屋敷のある殿町の裏手の山のふもとに凝灰岩をくりぬいた洞窟礼拝堂があります。
キリシタン禁教令後に神父のペトロ・パウロ・ナバルロとフランシスコ・プルドリノの2人がここに隠れて布教した所です。
洞窟礼拝堂は幅3m、奥行3m、高さ 3.5m で、正面の壁は掘り込まれ祭壇として使用されていたようです。
洞窟礼拝堂の隣には反洞窟があり、ここは神父たちの住居であったようです。洞窟は深くないので横殴りの雨だと濡れそうです。
ヨシズのような物で防いでいたのでしょうか?
(見学自由)
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◆ 長屋門
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◆ 殉教時代のかくれキリシタン洞窟礼拝堂跡
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◆ 洞窟礼拝堂の中の祭壇らしきもの
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◆ キリシタン神父の住居址
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◆ 洞窟の下に水飲み場もある
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■■■■■ ・JR豊後竹田駅 ・竹田温泉「花水月」 ■■■■■
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JR豊後竹田駅
竹田市の表玄関であるJR豊後竹田駅です。駅前には朝倉文夫の裸体の作品があります。この朝倉文夫は隣町の朝地町(豊後大野市朝地町)の出身で、
東洋のロダンと言われている彫刻界の巨匠で多くの彫刻を残しています。大分駅近くの遊歩公園に多くの作品が展示してあります。
朝倉文夫は竹田高等小学校で瀧廉太郎の4年後の後輩になります。なお、岡城にある滝廉太郎の像も朝倉文夫の作品です。
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◆ 竹田市の表玄関JR豊後竹田駅 (列車が着くと荒城の月など滝廉太郎ゆかりの曲が流れる)
◆ 竹田温泉「花水月」
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阿蘇やくじゅうには温泉がたくさんありますが、今まで竹田には温泉がありませんでした。 2001年11月に待望の天然温泉館がオープンし
「竹田温泉花水月」と命名されました。JR豊後竹田駅から徒歩2〜3分の以前竹田市庁舎があった場所にあります。
地域の人や観光客に人気急上昇中です。外には無料の「足湯」もあり、ベンチに座って足を暖めると体全体が温まってきます。
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■■■■■ 竹田薪能 ■■■■■
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