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音無井路十ニ号分水 (円形分水)

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◆◆◆◆◆ 音無(おとなし)井路秘話 ◆◆◆◆◆

 竹田市の南西部に位置する宮砥(みやど)地区。棚田が並ぶ静かな村の谷あいに円形分水があります。この円形分水と 音無(おとなし)井路には田畑に水を求めた人々の想像を絶する苦労の歴史が秘められているのです。

 音無井路の歴史は遠く元禄6年(1693)にはじまります。岡藩の家臣であった須賀勘助は藩の財政を確立するために 宮砥(みやど)地区、入田(にゅうた)地区、嫗岳(うばだけ)地区などの南部地域一帯の水利開発を計画しました。 水源を大谷川に求める水路開削工事は大規模な工事でした。ノミと槌(つち)で開削し水路橋を架ける工事は 難航をきわめ、幾多の障害を克服して、なんとか九重野上西まで通水が可能となったのです。しかし、その喜びも束の間で、この地方を 襲った暴風雨で水路の主要な部分はほとんどが損壊したのです。あまりの被害の大きさに復旧の目途も立てることができませんでした。 それまでのはかり知れない苦労は全て水泡に帰し、勘助はその責を一身に背負い、切腹して藩主に詫びたのです。悲運としか言いようの ない出来事であり、勘助の無念は察するに余りあるものです。


 その後、岡藩や在郷の庄屋が幾度か復旧の計画を練ったが着工するまでに到りませんでした。それから約200年経ち明治維新となり幕藩体制も 終わった明治9年入田に住んでいた岡藩の藩士であった井上藤蔵と宮砥村に住んでいた熊谷桃三郎は非情の最後を遂げた勘助に深い感銘を受け、 勘助の水路の復旧を実現させようと誓い合ったのです。測量等の基礎調査を行い取水口を500m上流に変更して計画を練り直しました。 県への着工手続き、資金の捻出などに奔走(ほんそう)し明治17年(1884)になんとか工事着工にこぎつけました。

 しかし、当初から覚悟のうえの難工事とはいえ、硬い岩盤に阻まれ開削工事は遅々として進まず、工事費は膨らむばかりでした。二人は私財を投げ売って 工事の継続を計ったが、とうとう破産してしまったのです。工事も中断となり藤蔵は志なかばにして入田を去らなければならなかったのです。 桃三郎はなんとか宮砥村にとどまり、その後も工事の再開に尽力し、地元のよき協力者達を得て工事は再開され明治25年(1892)に、ここ 十二号分水まで通水するに到ったのです。

 当時の金額で5,750円、今の金額に換算すると約7000万円にもなる工事費を投入しての通水でした。須賀勘助が水路の開削工事に 着手して実に200年もの歳月を費やしての完成であったのです。 先人達の想像を絶する苦労の末に完成したこの水路は、今もトクトクと水が出ておりこの地方の広い田畑を潤しているのです。


 円形分水の脇にはツルハシを担いだ須賀勘助の頌徳碑(しょうとくひ)があり円形分水から流れ出る水を見守っています。
余談ですが井上藤蔵と熊谷桃三郎の功績も後世に伝えたいものです。彼らの頌徳碑(しょうとくひ)も作って欲しいと思うのは私だけであろうか・・・
私利私欲がまかり通る今の世の中において、涙が出るくらいすばらしい彼らの行動と功績を広く世に知らしめるためにこのページを作りました。 興味のある方はぜひ現地を訪れて見てください。

 音無井路十ニ号分水は取水口である頭首工から円形分水に至る約2000mの暗渠(トンネル)に十二箇所の窓(廃土の搬出口)が あることから十二号分水といわれています。 取水口から約2000mの暗渠(トンネル)を通ってきた水はここで初めて地表に出てきます。この円形分水の中央が出口です。

 
 


 ◆ 中央から湧き出した水が3線の幹線水路に適正に分配される
音無井路十ニ号分水(円形分水)は中央から湧き出した水が3線の幹線水路に適正に分配される

 現在の円形分水までの通水は明治25年に完成したが、ここから三線の幹線水路に分配する水の量で、お互いに反目し合い、 連日のように水争いが繰り返され騒動を起していたため、昭和9年にこの円形分水が造られたものです。 この円形分水により適正な水の分配ができるようになり水争いも無くなりました。
 適正な水の分配とはそれぞれの水路の耕地面積に比例した水の量を配分することです。水の出る四角な穴は全部で20個あり、1着線には5個、2着線には8個、3着線には 7個の割り当てがされています。先人の智恵の結晶である円形分水はC級近代土木遺産に指定されています。  毎年4月10日頃「水神祭」が行われます。

◆ 須賀勘助の頌徳碑(しょうとくひ)
音無井路十ニ号分水(円形分水)そばに建つ須賀勘助の頌徳碑(しょうとくひ)
◆ 円形分水を見守る須賀勘助の頌徳碑(しょうとくひ)
音無井路十ニ号分水(円形分水)を見守る須賀勘助の頌徳碑(しょうとくひ)

◆ 谷あいの宮砥(みやど)地区
音無井路十ニ号分水(円形分水)の水により米ができるようになった谷あいの宮砥(みやど)地区
◆ 大谷川の取水口
音無井路十ニ号分水(円形分水)の大谷川取水口


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