◆ 奥は徳富記念館(著書や遺品や書簡などの展示あり)
◆ 新島譲がアメリカ土産に贈ったカタルパの木の2世
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徳富蘇峰(とくとみ そほう)は明治9年に花岡山でのキリスト教信仰の誓いに参加して、熊本を追われた蘇峰は、
同志社に学び、明治13年に熊本に帰ってきました。
時は自由民権運動の盛んな時期であり、彼もさっそくその運動に参加しました。そして民権私塾といわれる大江義塾を建てたのです。
蘇峰は時の民権運動家、板垣退助や中江兆民、馬場辰猪などと親交があり塾生をつれて民権運動家達に
会いに行ったりしています。塾は自由平等の思想で運営され自分のことを「先生」でなく「猪一郎」と
呼ばせていたとのことです。またアメリカの総合雑誌「ネーション」や「ライブラリー・マガジン」を
購入し塾生達に読ませていました。
やがて明治19年になり「将来之日本」という本を出版し、東京で大変な評判となり、意を決して大江塾を
閉じて一家をあげて上京しました。そして民友社を設立し「国民之友」という雑誌を発行しはなばなしく活躍しました。
この徳富記念園は徳富兄弟が勉強した場所であり、大江義塾のあった場所です。そばにある徳富記念館には
蘇峰。蘆花兄弟の著書や遺品や書簡が分類され、展示されています。
庭にはその時代からあった椎(しい)の古木や、蘇峰の師であった新島譲(同志社大学を設立した人)がアメリカ土産に
蘇峰に贈ったカタルパ(キササギ)の種が芽ぶき今は2世、3世となりきれいな新緑の葉を付けていおり、5月には白い花が咲きます。
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