◆ 復元された八角形鼓楼(ころう)<撮影 広瀬政美氏>
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鞠智城は今から約1300年前に大和朝廷が造った山城です。この城が造られた7世紀後半の時代には
東アジアは非常に緊張していた時代です。朝鮮半島では百済と新羅・唐の連合軍が戦っていました。
日本は友好国であった百済を救援するために援軍を送りましたが、663年の「白村江(はくすきのえ)の戦い」で連合軍に
敗北しました。このため事態は急変し、直接日本が戦いの場所になる危険が生じました。そこで大宰府を守るために
大野城(福岡県)、基肄(きい)城(佐賀県)、金田城(長崎県)が造られました。この鞠智城はこれらの城に食料や武器、兵士を
補給する支援基地であったそうです。
ここの調査は昭和62年から行われ、これまでに67棟の建物跡が発見され、日本初の文字の書いた木簡や1300年前に作られた熊本県では最も古い軒丸瓦(のきまるがわら)
などが出土しています。
復元も平成6年から行われており八角形鼓楼(ころう)や米倉、兵舎などが復元され一般公開されている。
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