◆ 四隅に像を配し、中央に「八紘一宇」の文字のある塔
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八紘之基柱(あめつちのもとはしら)と言われていた塔も「八紘一宇」の文字も先の大戦で日本が負けて、日陰者扱いなってしまいました。
しばらくは四隅の像も「八紘一宇」の字も外されていましたが、昭和46年に塔は「平和の塔」として今風の名前に衣替えして再デビューし四隅の像も「八紘一宇」の字も復活しました。
塔の四隅には正面(西側)から時計回りに荒御魂(あらみたま・武人),和御魂(にぎみたま・商工人),幸御魂(さちみたま・農耕人),奇御魂(くしみたま・漁人)の順に信楽焼の像が配置されています。
で、この塔は誰が造ったのかというと、塔の発案者は相川勝六当時の宮崎県知事で設計したのは、日本サッカー協会のシンボルマーク「八咫烏」を制作したことで知られる彫刻家、日名子実三(ひなこじつぞう)氏が
担当したそうです。日名子氏は当時47歳でした。
塔の中(厳室=いつむろ)は公開されていませんが、扉には神武天皇が美々津港より御船出をする様子が描かれています。
この塔の土台となっている石垣は世界各地の石を取り寄せたと言われており、色が違います。中には南京日本居留民会と書いた石もありました。
そのほか、周辺には400点のはにわのレプリカがある「はにわ園」や、大芝生広場、アスレチック広場、白鳥の泳ぐ池などあり家族連れで一日楽しめる場所です。
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