久留米城跡
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筑後川左岸にある平山城跡で昔は篠山(ささやま)城と呼ばれていた。永正年間(1504〜1521)に土地の豪族が居館を構えたのが始まりで,後に御井郡司某が修築した。その後豊後の大友義鎮や龍造寺隆信の騒乱の場となり,城主も頻繁に交代した。天正15年(1578)の豊臣秀吉の九州平定後,毛利秀包が入城したが秀包は関が原の戦いで西軍に味方したため改易になり,田中吉政(よしまさ)が本拠を柳川に置き,篠山城は支城となった。田中氏は嗣子が無かったため元和6年(1620)に断絶となり,翌年丹波福智山より有馬豊氏が21万石をもって入城し,以来250年間11代明治維新まで有馬家が続いた。
現在城跡には初代藩主有馬豊氏を祀る篠山神社や有馬家歴代藩主の武具や家資料などを展示している有馬記念館があり城跡は県指定文化財となっている。
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