泉福寺
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曹洞宗 妙徳山泉福寺は永和元年(1375)大友一族の田原氏能(うじよし)が,母無伝尼公(後光厳天皇の第三女)の発願により,無著妙融(むちゃくみょうゆう)禅師を開山として創立したといわれています。
その後,天正9年(1581)8月,豊後国主大友義鎮(よししげ=後の宗麟)の兵火によって講堂を焼失しましたが,幸い仏殿(大雄殿)開山堂等の主要な建物は難を免れ,その後,慶長10年(1605)中津城主細川忠興公によって再建されました。
明治4年迄は九州曹洞宗の総本山として栄え,常住の僧侶も500人を越えていたことが記録されているそうです。
今もりっぱな建物が数棟あり格式の高さがうかがえます。また,それぞれの建物が屋根つきの渡り廊下で結ばれているのがすごいです。
この泉福寺には国重要文化財である開山堂(附)無著禅師墓塔,宋板宏智録(そうはんわんしろく)六巻,仏殿や県指定有形文化財の山門,西法眼蔵御抄三十一巻などの多くの文化財があります。
それから昔,[全国こども電話相談室]の回答者で有名であった無着成恭先生が,近年ここの住職となられているようです。
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