畦町旧街道風景
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博多-箱崎-青柳-(畦町-大穂-南郷-赤間-)と唐津街道はあり,畦町と赤間が宿場になっていた。赤間以後の道は当初は芦屋-若松-小倉となっていたが,明和年間(1764-1772年)には小屋瀬-黒崎-小倉のルートになったようである。
畦町(あぜまち)は宿場として農産物の集荷,販売が行われ街道は活気にあふれていた。しかし,明治23年に鉄道が開通し畦町は往時の活況をすこしずつ失い現在は昼間も人通りは少ない。福津市八並の県道福間町川原赤間線のそばに[太閤水]と言われている井戸がある。この井戸は1587年に豊臣秀吉が島津征伐の途中に,この清水でのどをうるおしたと言われており,この清水を地元では[太閤水]と呼んでいる。今も旧街道筋の畦町-大穂-南郷-赤間には,しっとりした町並みが残り,当時の往還の様子をしのばせています。
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