旧千燈寺
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[西の高野山]と呼ばれていた旧千燈寺は国東六郷山の中核寺院の1つの大寺院であった。奈良時代の8世紀に創建された中山本寺で国東六郷山を開いた仁聞(にんもん)菩薩が開基したとも言われており,仁聞菩薩の入寂の地とも言われている。また,奥の院の西の五輪塔群は仁聞の墓と言われる1000基を超える五輪塔がある。
平安末期に隆盛を極めた国東六郷山も16世紀の大友宗麟の時代に衰退していった。
筑前,豊前の守護大名であった大友宗麟は天正6年(1578)にキリシタンの洗礼を受け熱心なキリシタンになった。キリスト教は一神教であることもあって,調子にのった宗麟は国東の多くの寺々を焼討ちした。ここにあった千燈寺も本末寺院仏閣並びに寺領千石共没収され,寺も僧も離散し,このとき廃寺となった。
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