恋の浦
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庄屋の娘[嘉代]と博多の廻船問屋のせがれ[仙吉]はこの浜で心中したのでした。いいなずけの仲であった嘉代と仙吉そこに邪魔に入ったおじいさん。誰あろう藩主黒田長政の叔父[養心公]である。嘉代の美貌にひかれ御台所様介抱附添人として差し出すようにとの御達しである。いやだ,いやだと思っても殿様のご要望とあれば断る訳にもいかない。しぶしぶ庄屋の藤七は嘉代を差し出す決心をしたのでした。それからしばらくして,慶長11年(1606)2月この恋の浦に誰も乗っていない小舟が波に漂っていました。舟の中には次の歌が残っていました。
この話により,この浜を[恋の浦]と呼ぶようになったそうです。
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