◆ 大久保利通ゆかりの地(大久保利通が育った場所)場所
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「維新のふるさと館」の北側が大久保利通「ゆかりの地」になっています。「ゆかりの地」とは、ここで生まれたのでは無いが、ここに住居があったと言う事です。大久保が生まれたのは加治屋町ではなく、
約400m程度離れた甲突川の対岸の高麗町(これまち)という所です。
また西郷隆盛の生誕地は「維新のふるさと館」のすぐ東側にあります。大久保が育った「ゆかりの地」と西郷の生誕地は距離にして約150m程度しか離れていないですね。
西郷の方が2歳年上でした。その後2人は誠忠組(若手改革派集団)を結成します。西郷がNo.1 で大久保は No.2 でしたが、西郷が安政の大獄のあおりを受け奄美大島に身を隠したときに、
大久保が誠忠組のNo.1 になり、出世街道を駆け上がる事になるのです。
大久保は世渡りが上手で西郷は不器用だったようです。
この竹馬の友であった西郷と大久保は1877年(明治10年)に起きた西南戦争で官軍と薩摩軍に分かれ戦うことになりました。
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