文久2年(1862)の薩英戦争で敗れた薩摩は優れた西欧の技術と工業化を学ぶ必要があることを痛感した。そのために
慶応元年(1865)に国禁を侵して使節と留学生19人を英国に派遣したのでした。
引率した新納久修、五代友厚らは英国の工業地帯を回り、そ綿機10台、精紡機6台を買い付け、技師7人を招く
ことに成功しました。
慶応2年(1866)11月に4人の技師、翌年の慶応3年(1867)には工務長ジョン・テットロウ氏と技師2人が薩摩にきました。
日本最初の紡績工場は慶応3年(1867)に稼動を始めたのです。この工場の稼動は、その後、明治、大正、昭和30年頃まで日本の輸出産品は
紡績製品が主だったことを考えると、日本の産業発展に大きく貢献した工場のスタートでした。
異人館は、この工場の英国の技師達の宿泊施設として造ったものです。この異人館は紡績工場とともに
先進地薩摩のシンボルとして存在したもので、現在は国の重要文化財に指定されています。
※以前は見学無料でしたが平成23年10月25日に有料化してリニューアルオープンしました。
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