竹田荘の観光情報1

竹田荘


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 日本南画界の最高峰,田能村竹田(たのむらちくでん)は岡藩藩医の次男として安永6年(1777)に生まれました。田能村家は代々医師として岡藩に仕えていましたが,竹田(孝憲)は幼少から書画を学び,20歳の時に医業を廃業し文人画家の道を志して,全国を旅して詩や画に独自の境地を開いたのです。

 現在保存されている旧宅は焼失の後1780年に再建されたものであり200年前の建築です。(1980,1981年に解体復元修理されています)

 竹田荘母屋の2階からは城下町を一望できることから雪月楼(せつげつろう)といわれていたそうです。

 また敷地内には草際吟舎(そうさいぎんしゃ)という土蔵様式の2階建ての建物もあります。1階は茶室,2階は書庫になっています。ここは竹田と親交のあった頼山陽(1780-1832)も宿泊したといわれています。この建物は明治時代に取り壊されましたが1933年に再建されました。そして1980,1981年に古図のとおりに復元されたものです。


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