浦上天主堂
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慶応元年(1865)に大浦天主堂が完成し,ここ浦上の潜伏キリシタンはプチジャン神父に[私どももあなたと同じ信仰をもつ者です]と打ち明け[潜伏信徒発見]という歴史的な事件となりました。しかし,まだキリシタン禁制中のできごとであり,浦上の信徒3400人ばかりは流罪となりました。この事件は外交問題となり明治政府は明治6年(1873)にキリシタン禁制を解くことになりました。信仰の自由を得た浦上の信者たちの33年に及ぶ奉仕で大正15年に立派な天主堂が完成しました。赤レンガ造りのロマネスク式の教会は当時東洋一と言われていましたが,昭和20年の原爆で8500人の信者とともに失われてしまいました。
現在の天主堂は昭和34年,往時のものと同じロマネスク式で再建されたもので,天主堂に上る道の両側には原爆で焼かれた天使像が並んでいます。
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