西の正倉院百済の里の観光情報1

西の正倉院百済の里


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 九州山地の奥深いところにある美郷町南郷区。ここには百済王の伝説が残っている。西暦の7世紀に百済が滅亡したとき,王族たちが日本に亡命して来た。その王族たちは日本を転々として最終的に落ち着いたのが,ここ旧南郷村であった。と,いう話である。

 神門(みかど)神社では,百済王のご神体が祀られ,奈良正倉院と同一の銅鏡を含む銅鏡33面や馬鈴,馬鐸などの遺品が収蔵されていた(今は西の正倉院に保管されている)。また,離れ離れになった百済王の子孫が年に一度再会する[師走祭り]が1300年以上もの間村民によって受け継がれてきた。

 この由来,伝説を核にして[百済の里づくり]が行われたものである。[百済の里]には奈良正倉院の原寸大複製の総檜づくりの[西の正倉院]や韓国の古都[扶餘]の王宮跡に建つ元国立博物館の[客舎]をモデルにした[百済の館],昔の旧南郷村の町なみを復元して[百済小路],村を見下ろす小高い丘にある六角形の東屋のある[恋人の丘],近くに[南郷温泉 山霧]などがある。


西の正倉院百済の里の観光情報2

西の正倉院百済の里の観光情報3

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